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INTERVIEW02

ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)を含む4賞を獲得した『愛の予感』をはじめ、その作品の数々が国際映画祭で高い評価を受ける小林政広監督。海外から新作の動向が常に注目される日本人監督のひとりにあげられる彼から『白夜』に続いて今年2本目の公開作となる『ワカラナイ』が届いた。この作品は小林監督にとって初となる子供を主人公にした物語。常に新たな試みを続ける鬼才に、今回の作品の生まれた背景とこれまでの歩みを訊く。

取材・文/水上賢治

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真の意味で子供の目線に立った映画を目指して

『白夜』から間を置かずに新作が届いて驚きました。しかも子供が主人公の作品で。小林監督が子供を映画の主人公に据えることは初とのことですが、どういう経緯でここに至ったのでしょう?

01小林:新作に取り組むときはいつもそうなんですが、まず自身の苦手なことにトライすることを第一に考えるんですよ。それから自分にとっての実験性も欠いてはいけないと思っていて。今回、子供を主人公にしようと思ったのは、まずこの2つが大きな理由です。今まで子供が主役の映画なんて撮ったことがない。子役という半ば素人を相手に作品を作るなんて、はっきり言ってしまうと、どうしたらいいかわからないんですね(笑)。だから、ここでひとつやってみようと思いました。

これまで子供を描くことを避けてきたところがあったと?

小林:避けてきましたね。僕自身、もういい年(55歳)で、そこでいまさら子供について描くのもどうかと思うし。気恥ずかしさみたいなこともある。子供と正面から向き合う自信もそれほどない。あと、僕の場合、自主でほとんどやってきていますから、1本映画を作ることは命がけ。毎回、精神的にも金銭的にも余裕がない。そういう中で、子供という領域に踏み込む勇気がなかった。

それがなぜ、今回は踏み込んでみようと。なにか大きなきっかけはあったのでしょうか?

小林:別れたかみさんとの間に息子がいて、自分もなんやかんや父親を20年近くやっていまして。その自覚が薄くて、子供には申し訳ないんですけど(笑)。それで、去年の1月のことなんですけど、僕のオヤジが亡くなったんですよ。その通夜の席に息子がきてくれた。でも、僕はほんと一瞬なんですけど、顔を見たとき、誰だが判らなかったんですね。このとき、すごい後ろめたい気持ちが自分の中に生まれて。“オレ、映画のことばっかり考えていて、息子の顔を覚えてないぐらいひどい人間になっている”と自分で落ち込んだんです。でも、同時に仕事に明け暮れて、こういう瞬間に直面している親ってけっこう多いんじゃないかとも思って。これが大きなきっかけになったことは確かですね。それから『愛の予感』がロカルノ国際映画祭で賞を獲って、ひとつ自分の心に余裕ができた。これもまた大きかったように思います。

映画は、とある地方都市が舞台で、母子家庭育ちの少年・亮が主人公。母が重い病にいる彼は、16歳で毎日働き、なんとか日々の糧を得ている。ところが次第に歯車が狂い、最愛の母も亡くなり、どんどん追い詰められていく。その過程が、亮の視点そのもので描かれている。ここにひじょうに意義があると思います。というのも最近の少年や子供を描いた映画は、子供に寄り添うなんて宣伝文句でいいながら、大人の目線で描かれているものがほとんど。この『ワカラナイ』は本当の意味での子供の目線が存在する映画だと思います。

小林:僕が子供映画に手を出さなかったもうひとつの理由に、それがあるんですね。ここ最近の映画は、子供の目線に立ったといいながら、大人が子供に“こうあってほしい”という理想を押し付けた子供映画がほとんどなんですね。子供がその物語の正当性に利用されている作品ばかりで、子供で映画を作るとこうならざるえないのかなとも思って。それだったらやりたくないという気持ちが僕の中にあったんですね。純粋な意味での、子供の目線に立った映画はほとんどない。パッと思い浮かぶのは『誰も知らない』ぐらいですよ。だから、大人の目線から見下しているような映画には絶対しないよう肝に命じて。子供の目線にどれだけ立てるかがこの映画の最大の勝負と思って挑みました。僕自身が、子供を子供としかみていない映画にだけは絶対にしたくなかったし、今の少年の内面を感じられる映画でないと僕が子供映画を作る意味はないですから。

その監督が目指した姿勢があったからこそと思うのですが、受け手も主人公の亮と同じ目線に立たされて、彼の息遣いまで伝わってきて、息苦しくなる瞬間がありました。

小林:お客さんと亮がある意味で、画面を通じて一体化する。それがないとダメだと思っていました。“自分の身に何が降りかかってくるのかわからない”。そういう状況を観客にも一緒に体感してほしかった。なぜなら、通常の子供映画で描かれる絵空事とは違う、身の回りにある出来事としてこの物語を受け止めてほしかったからです。


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「僕はまったく俳優に優しくない監督です」

主演に抜擢した新人俳優、小林優斗くんの話に入りたいのですが、その前にひとつ質問が。小林監督が俳優に求める絶対条件みたいなことはあるのでしょうか?

01小林:僕の場合、自分で台本を書いて、その上で頭に思い浮かんできた役者さんにお願いする形なんで、キャスティングがいつもギリギリ。それもあって理想に近い人を選びますから、それほどないんですね。あるとすれば、きちんと台本を読んでほしいということだけですかね。自分が情熱をこめて書き上げたものですから、読み込む必要はぜんぜんないんですけど、大事にしてほしい。俳優さんに気を遣って、持ち上げてという監督さんいますけど、僕はまったくそういうのがない。だからはっきり言えるんですけど、脚本をしっかりと把握してくれてその役に挑んでくれているか否かはすぐわかる。それが作品の良し悪しにつながりますから、“台本は大事にしてくださいよ”という気持ちは常にあります。それと“セリフをきちんと言ってくれ”ということですかね。よく口でゴモゴモして聴き取れないのがナチュラルな演技なんて言われてたりしますけど、とんでもない。お客さんに作り手の想いを届けたるために、セリフは存在しているわけで。聞こえなかったらなんの意味ももたない。そのセリフを自然に見せるのがナチュラルな演技ですよ。だから、セリフがきちっといえる俳優さんを僕は選んでいるところはありますね。

そんな中、今回、小林優斗くんを主人公の亮に抜擢した理由は?

小林:『バッシング』『愛の予感』の流れを汲む、ドキュメンタリー・タッチの映画にしたかったので、与えられたセリフをきっちりと明快に言う劇団で訓練されたような子役はダメだと思って。あまり演技経験のない少年を探していったんですよ。その過程の中で彼と出会ったというか、事務所にいったら引き合わされてその場で会ってしまった(笑)。正直なことを言うと、最初は僕が思い描いていた亮と彼のイメージはまったく異なり、重ならなかったんですよ。でも、話していくうちに彼はあるコンプレックスを抱えていたり、ちょっと普通の子と違う面を持っていることがわかった。それと同時に僕が16歳に抱いているイメージと、現代の16歳に違和感があることに気づいて。現代に生きる少年の亮を考えたときに、“僕が彼(小林優斗)に寄り添うことで、亮の人物像を作っていく”という方がいいと思ったんですね。また裏を返せば、彼は僕にそう思わせてくれたんです。

収入源を失い、食べることもままならいせっぱつまった状況を小林くんは体現していた。食べ物にかぶりつくところなどは、本気で空腹なんだろうなとこちらも感じるぐらい。なんでも彼には劇中で食べるもの以外、口にしないよう監督からお達しがあったそうですね。

小林:僕は前で語ったように俳優を甘やかさない監督なので(笑)、劇中以外で食事をとるなと言い、さらに孤独な状況に追い込まれていきますからスタッフには“優斗と口をきかないように”と言ったんですよ。それを聞いたスタッフからは、もう“この人、人間じゃない”みたいな顔をされた(笑)。特に女性スタッフなんか、16歳の男の子なんてかわいいですから、何かと世話を焼きたくて仕方がない。周囲の大人が代わる代わる僕のところにきて“ごはん食べさせていいですか?”と聞いてくる。あまりにそういい続けられると僕もダメと言えなくなっていく。それで撮影が始まって何日目かに、スタッフが集まっての食事会があったので、それへ参加することを許した。それで翌日撮影に挑んだら、もうダメ。顔にまったく切羽詰まった緊張感がない。ひと風呂浴びてリラックスしたような表情になっている。唯一の頼みの綱の母親が倒れ、ひとりぼっちで家で暮らす少年なのに悲壮感がこれっぽっちもない。これではダメとまあ本人も気づいて。それからはもう根性入れて、僕についてきた。まあ、陰でスタッフにそれなりに甘えてはいたみたいだけど。

小林くんと話し合って決めたことなどはあるんですか?

小林:劇中で口にする食べ物はそうですね。彼に“1日これだけの金しかなくて食べるとしたら何がいい?”と聞いて。カップラーメンがいいのか、それともそばかうどんがいいのかとか、パンならなにがいいのかとかこと細かく聞き、最終的に“日清のカップヌードル”と“メロンパン”いった具合に決めていきました。この状況で贅沢はなんになると聞いたら、“マクドナルド”と彼が言って。後半でマクドナルドに行くシーンありますけど、あれはその案を取り入れて出来たものです。

小林監督のここ数作品は特にそうなんですけど、映画を通して今の日本社会が透けて見えてくる。先ほどの食べ物の話とかいい例で。主人公の亮が口にするものだけで、実にいまの食生活が垣間見えてくる。そのあたりのリアリティの追求で常に考えていることはあるのでしょうか?

小林:映画の中で現代のリアリティを追求していくと、その過程で、おのずと何を食べるとかどんなものを着るとか考えていく。でも、自主で予算がない。はっきり言うと、美術スタッフを雇う余裕もないわけです(笑)。だから、自分の手で探して、身の回りにあるもので使えそうなモノをひっぱりだして配置する。あと、基本的にロケでの撮影になると、道路ひとつとっても現代性を帯びている。そうすると、こちらが意図しようとしまいと背景には、現代性が入り込んでしまうんですよ、これが。その中で俳優を動かして物語を作っていくと、映画の中で描く現代のリアルさが、今まさにここに実存する社会のリアリティに不思議とつながっていく。逆を言うと、現代という枠組みに人を一人立たせて、その人物が生きているリアリティを追求していくと、そこから日本または世界の社会が必ず見えてくるはずで。それで見えてこない映画というのは、やはりどこか作り物めいているところがあるんだと思います。

そのリアリティを出す手法に気づいたきっかけはあったのですか?

小林:映画はそもそも作り物で、エンターテインメント性を出そうとすればするほど、ある意味で美術というのはみなさんに夢を見てもらうために、現代性を隠してしまう役割も担っていたりするんですよ。僕も映画を始めたころは、自分の画作りに一生懸命で、絵になる場所を探して、何か観客を現実に引き戻してしまうような、たとえば、よく町にある看板とかパチンコ屋ののぼりとかあろうものならスタッフに“外せ”といって(笑)。そうして、自分の納得のいく理想の映像であり、自分なりの映画という幻想世界を作り上げていったんですね。でも、そうした画作りをすればするほど、だんだん何か枠組みにとらわれてきて映画作りが窮屈になってきた。それで『フリック』で、いままで自分がやってきた手法をすべて吐き出し、以降すべて封印することを心に決めたんですよ。それと同じころ、アメリカ同時多発テロがあって。映画に対する考え方も一気にかわった。あんまり絵空事ばかりやっていても何の意味もないなと思ったんですね。そんなとき、『バッシング』の構想が生まれて。その題材を前にしたとき、この作品に関しては、僕の過去の作品とは違い、今の人がリアルに感じる現代感が必要だった。過去でも未来でもない今のここにある現代の場所が大切なわけで、そのとき“今回は何が映ろうと構わない”でいこうと思ったんです。それを自分で推し進めていき、金がないからその場所にあるものすべてを認めていったら、現代のリアリティが映画の中に息づくことに気づいた。これは自分にとっても発見でしたよ。幸か不幸か低予算でやってきたがゆえに体得できたことかもしれません(笑)。

そのリアリティを出す上で重要だと思うのがカメラワーク。今回は『バッシング』や『愛の予感』にも増して、人物によりクローズしているというか、亮という人物を見つめるというよりも、彼自身の目となって動きまわるようなカメラワークに思えました。ダルデンヌ兄弟を思い出したりしたのですが。

小林:彼らの影響を受けているところはありますね。作り終えてからなんですけど、ガス・ヴァン・サントの『パラノイドパーク』とか、ダルデンヌ兄弟の『ある子供』なんかの影響があったなと自分でも思いました。以前はずっと引きの画で、長回しをよくやっていましたけど、最近は作品の内容的なこともあって、より人物に迫ろうとしているところがありますね。

もうひとつ、『バッシング』『愛の予感』、今回の『ワカラナイ』と小林監督が一連の流れと位置づけている作品に共通しているのが、マイノリティの側の映画ということです。この理由は?

小林:映画は基本的に弱者の叫びであるべきと思うんですね。僕の敬愛するフランソワ・トリュフォー監督は“映画は反体制でないまでも反抗でならなければならない”と言っている。それが大前提にあると思うんですよ。戦争中はそれこそ国策映画、いわゆるプロパガンダ映画しか作られなかった。それがメジャーとして存在して、国民に“おかしい”と思わせる思考を失わせてしまった。もう2度とそんなことになってはならない。ところが今のいわゆるメジャー映画を見ていると、テレビもそうだけど、戦時中と同じことをやっていると思うんです。遠回しにだけど、現実の暗部にはふたをしてしまって目をそらして、見せないように洗脳している。大事なことを考えないように仕向けているとしか思えない。現状がそうなっている以上、僕はそこに警報を鳴らさないわけにいかない。体制に対して当たり障りのないことに大手メジャーが順ずるのなら、それに異を唱える立場の姿勢を僕はとります。


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映画少年から映画監督を目指して

今回は少し作品から離れて、バックグラウンドについてお話をききたいと思います。そもそも映画監督になったきっかけは何だったのでしょう?

01小林:まあ、いわゆる映画少年で。最初はフォークシンガーとしてデビューしましたけど、漠然とではありますがいつか映画を作りたいと思っていたんですね。ただ、いまから30年ぐらい前は助監督の募集もそれなりの一流大学卒が条件だったりして。高卒の僕への道は完全に塞がれていた。別の道として、当時、自主映画が注目を浴びつつあって。そっちからの道があったんですけど、僕はずっと商業映画に慣れ親しんできていたので、あまり自主で何かやろうという考えになれなかったんですよ。それでもう僕が監督になれる道筋はないなと思っていた。そんなとき、ローレンス・カスダンの存在を知ったんです。彼は自ら書いたシナリオをスピルバーグに持っていき、そこで認められて映画脚本家としてデビュー。スピルバーグの『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』の脚本などを手がけ、同時に『白いドレスの女』で監督デビューも果たす。このサクセスストーリーを目にしたときに、シナリオをやってみようと思ったんです。ただ、当時、ゴダールから大きな影響を受けていてきちんと筋書きのあるドラマなんて書く気はなかった。それでエリック・ロメールの映画のみたいな会話のみで成り立つシナリオを目指したら、当然ですけどまったくうまくいかない。それで、やはり誰かのもとで助監督するのが道と思ったんですけど、日本ではダメ。そのとき、海外の監督なら受け入れてくれるんじゃないかと思った。誰がいいと考えたら、やっぱり1番尊敬する(フランソワ・)トリュフォーしかいない。そうなると、フランス語が出来ないとダメ。ということで、郵便局で働きながら日仏学院に通いだしたんです。

それでトリュフォーに弟子入り志願にいったんですか?

小林:4年ぐらい日仏に通ったんですけど、覚えきらないまま27歳ぐらいになり。いずれにせよ、そろそろ踏ん切りをつけないとまずいと思い、100万ぐらいをもってフランスに行きました。ただ、トリュフォーには会えずじまい。結局彼の作品のロケ地を巡って帰ってきました。でも、これがひとつの転機で、フランスにずっと行っていて日本語に飢えていたこともあって、日本ならではの人情味のある泥臭い物語が新鮮で。そういうシナリオを書く気が起きた。その中で書き上げた『名前のない黄色い猿たち』が、1982年に脚本家の登竜門である城戸賞を受賞したんです。

そこからシナリオライター時代に入るんですね。

小林:ええ。その受賞がきっかけで、『砂の器』などで知られる野村芳太郎監督の設立した「霧プロダクション」に声をかけられて、“これは映画監督の道が開ける”と思って通い出したんですね。でも、実際はシナリオ修行になってしまって。そのうちにTVドラマのシナリオの仕事がちょくちょく入るようになって、そうこうするうちに30代が過ぎていってしまった。40歳を過ぎたあたりで、“このまま監督ができないまま死ぬのは嫌だ”と思って。当時、持っていた有り金をはたいて作った映画。それが『CLOSING TIME クロージング・タイム』でした。

これが42歳のときで。遅まきながらそこから監督の道が始まった。

小林:そうですね。やっとですよ。でも、湯布院や函館山とか国内の映画祭に出品したんですけど、ことごとく不評で。ある意味、その時点でほとんど腹をくくっていました。“この1本でオレの監督人生は終わりだ”と。でも、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリに輝いて、これでキャリアが首の皮一枚つながった。この受賞がなかったら、はっきり言ってここまで続けていられたかどうか本当にわからなかったですよ。

42歳で監督デビュー――紆余曲折の末、念願が叶ったわけですけど、1本作りあげたとき、どんなことが脳裏に浮かんだのでしょう?

小林:シナリオに関しては、不安はなかったんですよ。それまでプロとしてずっと食ってきましたから。それから、自分で言うのもなんなんですけど、役者から評判のいいシナリオライターで。脚本に関しては、自信があったんですね。演出は初挑戦だったわけですけど、戸惑いはなかったですよ。映画が好きでずっと観てきたわけですから、必然的に好きな監督や作品の影響が出る。“このカットはトリュフォーだなとか”“このシーンはゴダールのタッチでいこう”なん直感的に浮かんだ創作で映像を作りこみ、それを組み立てていった。だから、すごく映画を作る喜びに浸っていて、楽しかったですよ。後にも先にも映画を作り終えて“楽しい”と思ったのはこのときだけ(笑)。

えっ、じゃあそれ以降は常に苦しい行為ですか?

01小林:そうですね。もともと僕には映画を楽しく作ろうという考えがあまりない。『フリック』まではとことん自分が納得するまで画作りにこだわって、理想とする映像を作ろうと心血を注いだ。『バッシング』以降は、そういう画作りへのこだわりはひとつ封印したんですけど、世界の映画祭とか回り、各国の作品を見ているうちに、画力が弱いと感じて。画的に張り詰めたものをもっと作らないとと思ったんです。だから、形は違うんですけど常に僕は、画力のある“映像”を作ろうとしている。ただそういう画を作ろうとする行為は、実は僕がどれだけ孤独で孤立するかだったりするんですよ。つまり、何か周囲のスタッフに気を遣ったり、役者のごきげんをうかがったり、そういう点で妥協していくと映像がすごく甘くなっていく。俳優やスタッフと必要以上に親密になってしまうと、見やすい映画で心に何もひっかからない映像になってしまうんですよ。そうならないために今、僕がやれる唯一の方法。それがスタッフや役者から僕が疎まれる存在になることなんですね。そうすることで映像にひとつの緊迫感が与えられる。そのかわり、常に孤独ですから、苦しいですよ。最近のイーストウッドの一連の作品を見ていると、何の力みもなく飄々と作っているのに自然と作品は強い印象が残る。いったい、俳優やスタッフとどんな関係を結んで作り上げているのかと思って。“なんか楽に作ってる感じでいいなぁ”と羨ましく思う。“そうなれたらいいな”と思いますけど、僕はまだその境地に立てない。だから、この孤独な作業をまだ続けていくと思います。

以前、お話したとき、1本作るたびに“今回でもう映画はやめる”と考えるとおっしゃっていましたが、それはまだ続いているんですね。

小林:そうですね。ただ、以前はこの苦しさから逃れたいという思いがどこかにあった。でも、今はそれが変化して“苦しさ=作品での自分の燃焼度”にもなっていて。だから、苦じゃないといえば苦じゃない(笑)。これでも以前はそれなりにスタッフや役者に配慮していたんですけど、1作ごとにそういう気遣いに時間を費やさなくなった。その分、作品により集中できるというか、全神経を注げてきているんですね。この前、美術スタッフの知人に会ったんですけど、伊丹(十三)さんは現場でほとんど食べ物を口にしなかったというんですね。現場にいるときは、もう食べる方に考えが向いていない。黒澤(明)さんも撮影が終わると半年ぐらいベットに横になったきりだったそうです。「あしたのジョー」のラストシーンみたいに燃え尽きてしまう。これに比べたら、僕はまだまだ。だから、もっともがき苦しんで作品に自分のすべてを注ぎ込みたい。

そう考えると、もしかしたら小林監督の中で映画を作る意欲が以前にも増しているのかもしれませんね。今後、何か描いてみたい題材があったりしますか?

小林:今回『ワカラナイ』をやってみて思ったんですけど、“貧困”や“格差社会”が叫ばれる今、亮よりももっと悲惨な境遇にいる子供がいっぱいいると思うんですね。そういう子供が映画で扱われるとき、だいたいが非行に走ったり、犯罪を犯したりすることに集約されてしまう。これはおかしいと思うんですね。僕は別の方向に動く子が多いと思うんですけど、皆無といったぐらいそういう描き方がされない。何か事件があった方が描きやすいからなんでしょうけど。今回、子供の視点に立った映画を作ったんですけど、今はこれで終わらない気がしています。

そういえば、エンドロールでトリュフォーの傑作『大人は判ってくれない』の主人公“アントワーヌ・ドワネルと父に捧ぐ”と出てきます。トリュフォーの『大人は判ってくれない』は、『逃げ去る恋』までシリーズ5作となったわけで、そうなると続編を期待してしまうのですが?

小林:みなさんに意外と勘違いされているんですけど、僕はTVのシナリオをやっていたこともあってシリーズへの拒否反応はないんですよ。優斗とは話しました。“何年か後にまたやりたいね”と。

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■好きな映画
『大人は判ってくれない』を含めた「アントワーヌ・ドワネル」シリーズ
『ゴッドファーザー』の全てのシリーズ
『仁義』を含めたジャン・ピェール・メルヴィルの諸作品
『ペレ』
『ロゼッタ』

■好きな監督
フランソワ・トリュフォー
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マーティン・スコセッシ

■好きな俳優
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■好きな女優
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スペーサー   Profile: 小林政広(こばやし・まさひろ)
スペーサー
1954年東京出身。
フォーク歌手、シナリオライターとして活動後、1996年、初監督作『CLOSING TIME』を製作。1997年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で日本人監督初のグランプリを受賞。以降、1999年『海賊版=BOOTLEG FILM』、2000年『殺し』、2001年『歩く、人』と、3年連続カンヌ国際映画祭出品の快挙を果たす。監督第7作『バッシング』は2005年カンヌ映画祭コンペティション部門において日本人監督として唯一出品を果たし、東京フィルメックスでは最優秀作品賞(グランプリ)、テヘランファジル映画祭では審査員特別賞(準グランプリ)を獲得するなど、世界的な注目を集める監督のひとりである。

「ワカラナイ」公式サイト
http://www.uplink.co.jp/wakaranai/top/
   

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