HogaHolic LOGO
topNEWSREVIEWVOICETHEATERFEATURE
スペーサーfilmfestival
TOP > INTERVIEW:高橋伴明インタビュー
高橋伴明インタビュー

ピンク映画を経て、1982年『TATOO<刺青>あり』で一般映画に進出を果たし、以来、日本映画界の第一線で活躍する高橋伴明監督。現在、日本の映画界で活躍する中堅監督には、気骨のある彼の作品群に大きな影響を受けた人もかなり多い。近年、『禅 ZEN』や『丘を越えて』など、さらに壮大なテーマに取り組む高橋監督だが、今度は死刑確定後の現在も裁判の再審請求が続く“袴田事件”の映画化に挑んだ。キャリア40年に迫ろうという日本の名匠が、モントリオール国際映画祭へのコンペ出品も決まった新作『BOX 袴田事件 命とは』について静かに、そして熱く語る。

取材・文/水上賢治

line
裁判員制度スタートのタイミングで実在事件ものを撮る

まず、今回はどういった経緯で映画化まで進んだのでしょう?

高橋:共同脚本としてクレジットされている夏井(辰徳)くんから連絡があり、“これを映画化したいと思っている”と打ち明けられたのが始まりでした。まだ、シナリオにはなってなかったんですけど、大まかな概要の資料を渡され“目を通してほしい”と。読んでみたら、有名な袴田事件についてで、まあ、実在事件ものは僕の得意というか(笑)、興味のあるところですし。ちょうどその頃が裁判員制度がスタートした直後だったので、これはそういう点でもぶつける意味のある題材だと思い、やってみようと思いました。そこから二人で脚本作りに取り掛かって、映画化に結びつけていった感じですね。

袴田事件については詳しく知っておられましたか?

  『BOX 袴田事件 命とは』
『BOX 袴田事件 命とは』
© BOX製作プロジェクト2010
高橋:有名な事件ですから、報道で伝えられたことは大筋で知っていました。ただ今回、いろいろな資料に目を通す中で認識を新たにしましたね。これは反省を含めなんですけど僕は事件の表面的なところしか触れていなかった。袴田事件の主任判事で、今回の映画の主人公でもある熊本典道(くまもと・のりみち)さんの2007年2月に事件の支援者を前にして語った「彼は無罪だと確信したが、裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断。合議の結果1対2で死刑判決が決まった(下級審は形式上全会一致)。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」との告白に集約されているんですけど、ここまで冤罪と断言できることが揃っている事件とは思ってもみなかった。あまりにこちらの伝えられ方と隔たりがあると思いました。僕はこの事件は明らかな冤罪と思っています。そのスタンスで今回は映画に挑みました。

映画は、静岡県清水市で味噌製造会社専務の自宅が放火され、一家4人が殺害された事件の容疑者となった従業員で元プロボクサーの袴田巌と、警察の捜査に疑問を抱いた判事の熊本典道を主軸に置き、現在の死刑確定に至るまでの事件の全容が描かれていきます。その中で、裁判の在り方、もっと言えば司法制度そのもの、また、警察の捜査の在り方やマスコミの報道の在り方など、様々な問題点が浮かびあがると思いました。

高橋:そういう構造にしたかったのは確かです。これは映画を見てもらえればわかると思うのですが、例えば今回の事件では、警察が自白を強要するひどい取調べの中で供述書が作られている。でも、その限りなく虚偽に近い自供の供述書ができるまでの過程は、裁判では争点にならない。その供述書がすべて。一度した自白はどんなに否定しようと文字としては残り、それが消えることはない。そして、あくまで裁判はその書面上に記されたことで進行していく。メディアも多くはそこだけでしか事件を語らない。それを読んだ一般市民は、そこだけの印象で事件の白黒をつけてしまう。怖いことですよね。で、他人事と思うかもしれないんですけど、裁判員裁判がスタートして、実はもう僕らはそういったケースもありうる裁判の場に立たなくてはいけないんです。“人を裁くことの重さ”。このことについてもう1度考えてほしい。もし間違いが冤罪につながり、ひとりの人生を奪ったとしたら、それは取り返しのつかない罪であり、科した刑以上に量刑をその人は負うべきではないか? そんな思いを胸に今回の題材に挑みましたし、司法をはじめ、警察、マスコミなどの持つ様々な問題点を考えるきっかけになってくれたらと思っています。

そういった問題点を浮かびあがらせる映画であると当時に、昭和史を振り返る内容でもあると思ったのですが?

高橋:そうですね。僕自身が昭和を生きてきて、いろいろなところで時代を体験してきた人間なので、そういう意識はありました。昭和の表側があるとしたら、この事件はやはり裏側で日本社会のダークサイド。ですので、その点が見えるようなシーンを作品にさりげなく封じ込めたところはあります。

また、実録事件というのはひじょうにデリケートな題材で。しかも現在進行形で進んでいる事件ですと、またこれもいろいろと配慮があったと思うのですが?

  『BOX 袴田事件 命とは』
『BOX 袴田事件 命とは』
© BOX製作プロジェクト2010
高橋:まったくそのとおり(笑)。はっきり言ってしまうと、袴田さんと熊本さん以外はすべて名前を変えています。当たり前ですけど、関係者すべてがこの作品に賛同してくれるわけではありませんから。あと、対談の取材が入ってしまい、熊本さんとは1度お会いしたんですけど、ほかの関係者の方には一切お会いしませんでした。熊本さんともその対談のみで、以後はお会いしていません。通常は当事者の方とかに取材を兼ねて話しをきくべきなんでしょうけど、そうなるとやはり情に流されてしまう気がしたんですね。それではどこかプロパガンダ的になってしまう。ですから、今回に関しては、僕がこの事件に感じた素直な想いをダイレクトに表現することに徹しました。

line
裁判官と被告がつながる映画

そういった監督のひとつの覚悟もあったと思いますが、またキャストのみなさんも出演に勇気がいったと思います。でも、さすがといえる骨のある俳優さんが集まっていて。特に熊本判事役の萩原聖人さんと袴田巌役の新井浩文さんの主役2人は覚悟がいったと思います。何か監督からこの二人に指示はあったのでしょうか?

高橋:こういう映画を作りたいという説明はしましたけど、各役についてはお任せ。まあ、僕が言う前に、調べるヤツはあれこれと調べるし(笑)。僕自身も事件を知ることでいろいろと考えたので、彼らにもある意味、自分でこの事件と向き合って、それぞれに解釈してもらいたいと思ったところもあった。その上でどんな役作りをしてくるのかなと、楽しみでしたね。

で、お二人の役作りはいかがでしたか?

高橋:萩原は、きっちりつかんできてくれていましたね。法廷用語の入った難しい長いセリフも完璧に頭の中に入っていて、まったく間違わなかったから。真摯に役に向き合っていると思って、安心して任せられました。新井は今回が初めてなんだけど、以前から1度組みたいと思っていて。なかなかいい空気を持っていて、やはりいい役者だと思いましたね。

映画の表現部分でちょっとお伺いしたいのですが、今回の題材というのは事件の時間がかなり経過しています。これを描く場合は、どうしても時系列のドラマに仕立てなくてはならない。また、法廷でのやりとりは不可欠で、法廷場面もまた必要になる。で、実はこの二つというのは映画で言うと、普通にやると単調な場面になり、飽きられる危険度の高い設定で(笑)。ここはどう表現しようと、頭を悩まされたと思うのですが?

高橋:確かにそうなんですよ。ただ、今回の場合、僕の中で法廷シーンが熊本さんと袴田さんという人間が向き合う場で、実に味わい深い男のドラマが成立する気がしたんですね。ですから、二人の心境をしっかりと描き出せば、法廷シーンもまたスリリングなものになると思いました。あと、裁判官をクローズアップした映画もあんまり見たことがない。裁判官と被告人がつながるドラマというのもあまり聞いたことがないですよね。そういう新鮮さが僕にあって、法廷シーンうんぬんであまり頭を悩ますことはなかったです。時系列については、さきほど少し話しましたけど、昭和史としての考えがあったので、こちらはありがたかったぐらいです。

line
ゴジと若松孝二と、『光の雨』

今の“裁判官をクローズアップ”という点につながるのですが、この映画の題材としては袴田事件ですから、袴田さんを中心にするのが常套手段。でも、この作品の中心はあくまで熊本さんで。ただ、これが正解でここまで広い視点を持った作品になったと思いました。ここで少し話しを変えてお伺いしたいのですが、ここのところ道元禅師の世界を描いた『禅 ZEN』や文豪、菊池寛の実像を描いた『丘を越えて』、そして今回とひじょうに大きなテーマに挑み続けている気がするのですが?

  『BOX 袴田事件 命とは』
『BOX 袴田事件 命とは』
© BOX製作プロジェクト2010
高橋:なぜかそうなっていますよね(笑)。自分としては『光の雨』を撮ったとき、監督を辞めようと思ったんですよ。あの作品を作り終えた後、“映画を作ることの責任”を考えて、“責任なんてとれない”という結論に至った。それで、もう辞めようと。実際、“辞める”と宣言したんですよ。そうしたら、かみさん(女優の高橋惠子氏)をはじめ周りが、長年の企画をようやく形にして“これからじゃないか”といってくれて。その言葉を聞いたとき、自分で自然とゼロに戻れたというか、まっさらな状態から映画作りが始められるとおもった。そこからはなんか今までは避けていたような題材にも、挑めるようになった。だから、どんな題材にも、躊躇なく挑める。例えば“『禅 ZEN』なんて、“良薬”みたいな映画(笑)。これをやったから、次はちょっと“毒”のある今回のような鋭利な映画をやってみよう”なんて気持ちになれる。もしかしたら過去の僕の作品を見てくれている人の中には、“なんでこんな題材の映画を撮るんだろう”という思う方もいらっしゃるでしょう。でも、僕としては以前よりすごく今は自然に、映画に向かいあっている感じがします。

『光の雨』は、やはり大きかったですか?

高橋:まあ、いろいろな亡霊にうなされましたね。肉体的にも精神的にもすごくきつかった。

やはり連合赤軍という題材はやっておかなければならなかった?

高橋:ゴジ(長谷川和彦監督)がずっとやるといって準備していて、僕はずっと手伝う約束をしていたんだけど、いつまでたっても実現しない。

若松孝二監督も同じことをおっしゃっていました。

高橋:そうこうするうちに21世紀になっちゃうし、これは誰かやらんといかんだろうと思って。そういう気持ちもあったし、同時代を知っている作り手としてはこの題材に興味がないわけがない。きちっと描いてひとつ落とし前をつけなくてはいけないと思っていた。もう使命感ですよ。また、僕の作品が露払いになって、連合赤軍についてもっと多様な見方ができるきっかけになってくれればとも思った。一度穴をあければ、続いてくる人もきっといると信じて。そうかっこいいことを言いつつも、もうお金集めの段階から大変で。正直言うと、作る前にすでにかなり体力を消耗していました(笑)。完成してもいろいろと批判を受けたり、まあよく思わない人に邪魔されたり。いろいろと背負って、もう自分のありとあらゆるものを出し切った映画でしたね。

line
今後の映画業界における(自分の)役割

そんな大変なことがありつつも現在も監督を続けてられているわけですが(笑)、監督になるきっかけは何だったのでしょう?

高橋:まあ、これもいろいろあって、大学に入ったとき、先輩に無理やり映画研究会に放り込まれたんですよ。映画好きでもないのに。そこで新入生歓迎会のとき、新入りは好きな映画を話さなきゃいけなくなった。するとみんな“(フランソワ・)トリュフォー”の“ゴダール”のなんとかという作品と答える。びっくりしましたよ。僕は当時、映画をそれほど観てないし、映画を監督で見るものとも思ってない(笑)。監督で知っているのは黒澤明ぐらい。横文字の(笑)、海外の監督なんてそれこそ知らない。で、仕方ないから正直に『無頼 人斬り五郎』とか好きですと言った。そうしたら、バカだから現場向きと思われたんでしょうね、すぐにピンク映画の助監督につかされた。何人もいる助監督の一番下っ端ですよ。で助監督となったわけですが、扱いは奴隷(笑)。撮影のない日は、監督の実家に行かされて庭掃除からなにからなにまでやらされる。その監督のお父さんが幼稚園を経営していて、そこの手伝いもさせられて、気の休まるときがない。それで月のギャラが当時住んでいたアパートの家賃代8000円。“このままでは俺は一生浮かばれない”と思って。ここを脱するには監督になるしかないと。

映画を撮るのではなく、監督という立場がほしかった。

高橋:そうそう。監督という権力がほしかった(笑)。ただ、僕はちょっとラッキーで。その監督さんがクセのある人で、関わった1本目の作品の途中で上にいる助監督が喧嘩別れしてみんないなくなってしまった。それでだれか補充されると思ったら、次から僕がチーフの助監督に昇格。3年目に監督になってしまった。まあトントン拍子で監督にはなれました。

その監督になって40年近くが経とうとしているのですが?

高橋:こんなに長く映画監督をしているとは考えてもいなかったですよ。監督という立場を手にいれたら、もう満足して、しばらくの間辞めてましたから。もともと作家になりたかったので、3年ぐらいかな、ライターとしてスポーツ雑誌や音楽雑誌で書いていました。

そうなんですか? では監督に再び戻るきっかけはなんだったのですか?

高橋:物書きになりたかったので、その間もシナリオは書いていたんですね。それであるとき、若ちゃん(若松孝二監督)に頼まれて書いたシナリオを本人に渡しにいったとき、“こんなのあるんだけど”ともう1冊自分が書いたものを渡した。そうしたら、そっちを若ちゃんがやると言い出して。それでこっちの“頼まれたシナリオはどうするのよ”と言ったら、“お前やれ”ってことになっちゃって、それで奇しくも監督に復帰したんですよ。

そうだったんですか。

高橋:ですから、まあ、振り返るとよくやってきたなぁと思いますね。

現在60代を迎えられているわけですが、何か心境の変化はありますか?

  高橋伴明
高橋:これは今、僕自身が学校(京都造形芸術大学教授を務めている)で教えていることもあるんですけど、若手を育てなくてはまずいなと思っていて。というのも、ほんとうに愕然とするんですけど、映画学科を志望して来た学生なのに、映画をほんとうに見ていない。“なんで映画学科に来たの”というぐらい。これはまずいと思っていて。僕もきっかけは無理やりですから人のことは言えないんですけど、そのあと、映画が好きになって、“なんで今までもっと観なかったんだろう”とひどく後悔した。そこから片っ端から映画を観まくり、それが自分の映画を作るときの力になり、糧となった。この経験があったから、どうにかこうにか業界の端くれだけど、ここまで生きてこれたと思う。DVDも以前より売れなくなってきていますから、今後、監督という職業はより厳しい状況におかれていくでしょう。その厳しい世界に飛び込もうというのに、映画を観ていないというのでは話にならない。才能ある監督は、それこそ黙っていても出てくるかもしれない。でも、それを支える周囲の理解者が必ず必要なわけで。それを考えると映画をきちんと観ている人がいないとほんとうに映画界全体がダメになってしまう。そこを真剣に考えないといけないという想いが最近強くなってますね。

確かにそうかもしれません。最後にこれは個人的にすごく訊いてみたかったのですが、今、ピンク映画出身の監督が、それこそ日本映画界の重鎮として活躍されています。この理由を、高橋監督ご自身はどう思っていらっしゃいますか?

高橋:それこそ、雨が降ろうが、槍が降ろうが、どんな状況だろうと、怯まない雑草のような強さが今活躍しているピンク出身の監督にはあるよね。ちょっと言葉は悪いのかもしれないけど、育ちが悪いが故のたくましさというか、そういう打たれ強さがある。ちょっとやそっとのことじゃ倒れない。踏みつけられても立ち上がる。予算や性表現など、いろいろな規約がある中で、いかにしたら最高の表現や映像になるのか追求して勝負してきた。大手メジャーの予算をかけなくても“こんな映像表現を俺はできるよ”といった具合に。そうこうしていたら知恵と勇気が自然と備わって、その力が今認められているんじゃないかな。

高橋伴明監督 Recommend

■好きな映画
『冒険者たち』
『ショーシャンクの空に』
『真夜中のカーボーイ』

■好きな監督
大島渚
黒澤明
マーティン・スコセッシ

■好きな俳優
クリント・イーストウッド
ジャック・ニコルソン
市川雷蔵

■好きな女優
奈良岡朋子
田中裕子
池脇千鶴


 
スペーサー   Profile: 高橋伴明(たかはし・ばんめい)
スペーサー
1949年奈良県出身。
早稲田大学中退後、ピンク映画で活躍し、『婦女暴行脱走犯』(72)で監督デビュー。1979年の三菱銀行人質事件を材にした『TATOO<刺青>あり』(82)で、横浜映画祭監督賞などを受賞する。2008年『丘を越えて』、2009年『禅 ZEN』とコンスタントに公開作が続く中、『BOX 袴田事件 命とは』は2010年5月29日(土)より渋谷・ユーロスペース、銀座シネパトス、名古屋シネマテーク、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、他全国順次公開される
スペーサー
『BOX 袴田事件 命とは』公式サイト
http://www.box-hakamadacase.com
スペーサー
(C)BOX製作プロジェクト2010
   

ページトップへarrow    



©2008 HogaHolic TRYWORKS LOGO