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山崎裕インタビュー

是枝裕和監督や河瀬直美監督らの作品の撮影で知られる名カメラマン、山崎裕。名だたる監督たちから絶大な信頼を寄せられてきた彼が68歳にして初の監督作品『トルソ』を完成させた。その処女作で彼が挑んだのは、他人との交わりを避け、“顔も手足もない男性型の人形=トルソ”にだけ心を許す30代半ばのOLを主人公にした、女性映画。ただ、生半可な女性映画ではない。天使と悪魔が同居しているとでもいったらいいだろうか? 女性の美しさも汚らわしさも、優しさも厳しさも、建前も本音も封じ込められている。男性監督が撮ったヒロイン映画でもない、女性監督がとった女性映画でもない。ある意味、むき出しになった“オンナ”がここには存在する。これは山崎監督の視点であることは疑いようもないが、同時に主演を務めた女優・渡辺真起子の存在がなければまた成立しなかった気がしてならない。2人の共犯関係が生んだ女性映画。それが『トルソ』。ここには監督と女優の濃密なコラボが確かに感じられる。二人に直撃した。

取材・文/水上賢治

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監督・山崎裕と女優・渡辺真起子の出会い

  『トルソ』
『トルソ』
©躄009“Torso”Film Partners
―これまで古今東西でいろいろな女性映画であり、ヒロイン映画が作られています。この作品も一般的な視点で見れば、その中に分類されるのでしょう。ただ、言葉はちょっと汚いですけど、ここまでえげつなく女性のあらゆる面を見せきってしまった作品はそうそうないと思いまして(笑)。この世界を作り上げるのは、監督と女優のある意味、覚悟というかパートナーシップがなければ、成り立たなかったように感じました。そこで、今回はお二人にぜひお話をお伺いしたいと思った次第です。まず、山崎監督と渡辺さんの出会いというのはいつごろだったのでしょう? 2000年の『TAMPEN 短篇』で顔を合わせられていますが、そのときですか?

山崎:実はそれより前に出会っているんですよ。最初はアヴィニオンかな?

渡辺:そうですね。フランスで行われるアヴィニオン演劇祭というのがあって、そこでお会いしたのが初めてですね。確か1995年ぐらい。

山崎:そのアヴィニオンで、日本のオンシアター自由劇場が公演をすることになって。僕は劇団からの頼まれて、撮影で現地に入った。そうしたら、劇団黒テントも来ていて。その中の出演者として(渡辺)真起子もいた。

渡辺:私はまだ女優として駆け出しのころ。気楽な立場で、ほんとに参加するだけといった感じで行っていて。ただ、このときの山崎さんのことはすごくよく覚えている。山崎さんはなんか違っていて。

山崎:石畳の上に寝転がって、昼寝してたりしたからね(笑)。

渡辺:そうそう(笑)。すごく伸びやかなんですよ。ほかのクルーもいらっしゃったんですけど、山崎さんだけすごく自由奔放で。単独でのびのび撮影をされていた。はじめ私は“この人、カメラもってなにやっているのかな? 私のことも撮ってくれないかなぁ”なんて思って、無視されつつも、わざとジーっとカメラの前に立っていたりしたんですけど(笑)。見ているうちに、「こういう人物が撮る映像ってどんなものなんだろう」と思って。また同時に“こういうカメラマンに撮られるのはどんな気分なんだろう”とも思ったんですね。それで、山崎さんのことはすごくよく覚えている。

山崎:ただ、このときはお互いが面識をもつまでには至ってなくて。その後、諏訪敦彦監督の『2/デュオ』の公開初日の打ち上げで、飲んでいる最中、“どっかで会ったことあるよね”って話になった。

渡辺:で話しているうちに“アヴィニオンだ”となって。そこからですね。

山崎:その後、僕は『M/OTHER』の現場を見て、映画も観て、“女優・渡辺真起子”をきちんと認識したというか。渡辺真起子という女優はスクリーンの中での存在の仕方が独特のものがあると感じてね。どこかでチャンスがあれば一緒にやってみたいと思っていた。

―では、その第一段階が『TAMPEN』 だったかもしれないですね。この『TAMPEN』は、監督を置かないというひじょうに変わった試みによるオムニバス映画でしたが。

  『トルソ』
『トルソ』
©躄009“Torso”Film Partners

渡辺:確かに『TAMPEN』は、ものすごく特殊なスタイルの作品で。通常、映画というのは監督がもろもろ判断して、作品を1本にまとめていく。でも、そのまとめ役がいないわけですから、当然といえば当然なんですけど(笑)。この作品はある意味、スタッフもキャストも自分の領域を踏み越えることが当然求められた作品。一般的な映画では、監督は監督の持ち場、俳優は俳優の持ち場があって、そこでの仕事をきっちりとこなすことが求められる。俳優だったら、演技するのみでほかのことには一切口を出さない、各シーンはプランに沿ってといった具合に。でも、『TAMPEN』はカメラマンも照明さんも、録音の人も俳優も垣根を越えて映画に関与していく感覚。みんなが映画全体に関わって作り上げていったところがある。それは諏訪組の特徴だったりもするんですけど。

山崎:監督、俳優、カメラマンといった具合に役割をカチッとしないというか。参加した全員でひとつの作品を作り上げていく感覚だよね。真起子が言ったとおり、諏訪さんもそうだし、是枝(裕和)監督もそう。河瀬(直美)監督も。ある明確なビジョンがあって、そのとおりに作るのではなく、その瞬間や現場で生まれたことを作品にどんどん巻き込んでいく。

―フィルモグラフィーを見ると、お二人ともそういった現場が多い。そういう経験があるから、意思の疎通が図りやすいところはありますか?

渡辺:スタンスがとりやすいということですよね。

山崎:そうそう。一から十まで説明しなくてもいい(笑)。


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ありのままを映す“新たなヒロイン映画”を目指して

―今回の『トルソ』の話に移りたいのですが、まず、なんでも出発点は山崎監督がデンマークのコペンハーゲンのポルノショップで見た、空気で膨らませる顔も手足もなく男性器だけがついているグッズ(トルソ)だったそうですが。

山崎:ええ。1970年代、ヨーロッパはポルノが解禁され、性開放とウーマン・リブの波が押し寄せて。街の裏路地でひっそりと商売していたポルノショップが、表通りに堂々と出てきたり、アメリカのハード・コア・ポルノが上映されるようになったりもした。そんな折、ヨーロッパのポルノ産業についてのドキュメンタリー番組を作ることになって、僕は現地を取材したんです。そのとき、あるポルノショップでトルソを見て。ものすごくショックを受けました。当時、自分が女性に抱いてきた思い込みを疑ったというか。女性の秘められた願望を感じたんです。実は男が勝手に絡めてくる手や足なんていらなくて、抱きしめられるよりも、抱きしめたい女性も多いのではと。そういう意味で、トルソは女性にとって必要最低限の男性なのではと思ったんですね。同時に、これまでの女性像というものは男性の勝手な目線でしか見られていない気もして。そのときから、トルソをモチーフに、女性そのものを描きたいと思い続けてきました。

―では、ある意味、『トルソ』の主人公・ヒロコは、長年、山崎監督が思い焦がれてきたヒロインということだと思うのですが、その役を渡辺さんにオファーした決め手はなんだったのでしょう?

  『トルソ』
『トルソ』
©躄009“Torso”Film Partners

山崎:ヒロコという人物は、他人との関わりを避け、トルソを心の拠り所にしていて。どこか他者と容易に相容れない強さを持つと同時に、関わることを恐れる弱さもある。まず、この強さと弱さを、セリフとかではなく内面できちんと表現できる人でないとダメだった。さらにヒロコという役に、その役柄にリアルな役者さん本人が半分入っているというか。その演者の演技半分、素が半分みたいな形でヒロコを成立させたかった。だから、演技がうまいとかある人になりきれるといった芝居のテクニックというよりも、その人の存在そのものが重要で。ひとりの女性として、人として、役者として勝負できる女優さんでなくてはならなかった。これはある意味、自身のすべてをさらけだすことを要求されるわけですから、人によっては躊躇う。だから、そういうことを厭わない役者でないとならない。あと、これは先ほど話したのですが“一から十まで説明しなくていい”ということ。今回、初監督でカメラも回す形になりましたから、できれば任せるところは任せたい。となると、やはり手合わせしたことがあって、なおかつ信頼の置ける役者さんでないと任せられない。そういうことを考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのが真起子だったんですね。

―それで渡辺さんのところに話が山崎さんから行った。

渡辺:そうですね。今回、ヒロコの妹役・ミナを演じた安藤サクラさんとは『愛のむきだし』で共演以来、お付き合いをさせて頂いているんですが、彼女から山崎さんに今度お寿司をごちそうになるという情報を聞きつけて。私も同席させていただきまして、その席で打ち明けられました(笑)。

山崎:僕はサクラと『俺たちに明日はないッス』で一緒して。そのとき、すごく頑張っていたから寿司でもご馳走するといってたんですよ。そしたら、なんだか真起子も一緒に食事をとなって(笑)。その瞬間、“これは縁だ”とピンときた。神からの啓示だなと。それで、その席でいきなり“こういうアイデアがあるんだけどやるか”と切り出したら、二人とも“いいわよ”と。“裸もあるよ”といったら、二人とも“構わない”となって、“じゃあやろう”となった(笑)。

渡辺:山崎さんは常に自分の中に温めている物語があって、それをどう実現していくかずっと考えていらっしゃる。それを私は知っていて、今回、ヒロコの同僚役を演じている(中村)優子さんなんかと一緒に“山崎さんの考えている企画を成立させよう”みたいな会合を、ここ何年か何度も開いていたんです。でも、やっぱり脚本家ではないので、そのときが来るのを見守るしかなくて。ただ、そのときが来たらすぐ走り出せる準備だけはしていたんですね。だから、ついにそのときが来たと思いました。

―で、その後、脚本が届いたと思うのですが、その印象はどのようなものだったのでしょう?

渡辺:まるで山崎さんが出逢ったことのあるような女性というか(笑)。もっと抽象的な人物と予想していたんですけど、わりと具体的だなと思ったのが私のヒロコさんに対する第一印象ですね。トルソに対する接し方や日常の暮らしぶりも明確だったので人物像をつかむことに関しては、そう苦労はなかった。けど、彼女の存在の仕方と、彼女と社会との距離については難儀で。ここは山崎さんと綿密に確認作業をしましたね。

山崎:ヒロコという存在が、きちんと人間として存在できているのか、すごく演じ手としては不安だったと思う。

渡辺:そうですね。私としてはその人物が愛されようが、嫌われようがいいんです。それは受け止めてくださったみなさんが感じてくれたことなので。ただ、きちんとこの世の中に立っている人物として存在したい。どこかの街角に立っている人になっていないと困る。フィクションとしか思えない、空想の人になってしまうのはつまらない。必ずみなさんに、この人物の体温を感じてもらわないと。

山崎:“トルソ”という特異な設定があるから、普通の人ではないわけです。ただ、そこを普通の人として存在させて見せたい。“どこかにいるよね”という存在感をどこかに残さなければならない。ただ、ある種の異様な設定があった上で、それを成立させるのはやはり困難で。これは僕もやっていく中で気づいた(笑)。

渡辺: また、この部分を表現することというのは言葉で表せるものでもない。非常に曖昧なグレーゾーンで。

―例えばですけど、ここのシーンでのヒロコの存在感は現実7割、ファンタジー3割みたいな出し入れが要求される感じですか。

渡辺:そうですね。そこにひじょうに苦労しました。

山崎:「これはそうとう困難だな」と僕は思ったわけですけど、そこはすっとぼけて(笑)。ある意味、もう真起子にお任せしちゃった。

渡辺:鬼ですよ。だから、さきほど、共犯関係といわれましたけど、そうじゃないと思う。私が追い詰められていますから。

山崎:ある種、各シーンが観察記録みたいなアプローチで、ひとりの女性の生活が切り取られていく。その中で、僕としては撮影する者としても、演出する者としても、性格がこういう人だからこうみたいな、頭の中で考えたことだけで終わってしまうのは面白くない。それよりもその場の空気とか、その状況があったがゆえについ出てしまったような不測のアクションが入った方が断然いいと思っている。あらゆる面で不確定要素がとにかく多い。

渡辺:だから、もう監督に身を委ねるしかないんですよ。それは決して心地の良いものではないんですけどね。

―今、監督から“空気”という言葉が出ましたけど、まさにこの映画は空気が大事で。今の映画はシーンにひとつの意味であったり、メッセージをはっきりと明確に示すことが多い。それもものすごくわかりやすい形で。その中で『トルソ』は、セリフで状況を説明することも一切なく、各場面の持つ空気や時間のながれで作られた世界であり、ヒロインのヒロコの心の変化を感じさせていく。ものすごく受け手のイマジネーションに響いてくる作品だと思いました。

 

山崎:僕はあるシーンがあったら、その裏に隠された意味がなんとなくちらちら見えるぐらいが好き。それが映画だとも思うんですね。真っ暗な中でスクリーンに映し出された映像を観た人の想像力に頼りたいというか、その人間もつ豊かなイマジネーションを信じたいというか。そういう想像力を掻き立てる作品を作りたい。暗闇のマジック、それこそが映画。僕は人間観察が好きで、よく喫茶店に行って、近くに座ったカップルなんかの話に耳を傾けたりするんですけど、話が聴こえなくても、その表情の変化やアクションで、その人となりや人生がどこか見えてくる。そういう瞬間をカメラで捉えることができれば、それだけで映画は成立するのではと思っている。逆を言うと、そういう映像で成立した映画を作りたいと常に思っているんです。

渡辺:監督は、その人の人生がみえちゃう一瞬を捉えようとしているわけですよ。いかに怖いことかわかるでしょ。ある意味、自分の全部が撮られちゃうわけですから。

―諏訪監督も、河瀬監督もそういうタイプですよね。

渡辺:そうですね。だから、まあ、私としてはみなさんひどいなぁと(笑)。ただ、みなさん作品を作ることにものすごく誠実。半端じゃないパワーをその作品に注ぐ。その姿勢には毎回頭が下がります。だから、撮影中はそれこそ悩み通し。でも、終わったときは出演できたことに毎回感謝です。

―さっき出た“怖さ”というのはどういったものなのですか?

渡辺:それは説明したくない。観た人が想像してくれればいいです(笑)。まあ、あえて言葉で言うと、楽しいことではないことは確かです。

―それは被写体としての恐怖ですか? 白昼のもとにさらされる感覚というか?

渡辺:そうですね。ただ、さらされるだけではないんですけどね。

―では、今回もその恐怖と戦いながらの現場だったと。

渡辺:ええ。ほんと、怖いから余計なことをいっぱい考えちゃう。でも、最終的に出来上がったもの観たら、山崎監督はきちんと自分のことを見ていてくれたんだなぁと思えて。だから、その点ではひと安心といった感じなんですけど。その一方で、私は山崎さんの求めるヒロイン、ヒロコという女性として立てていたかなぁとも考えていたんですね。ただ、作品を見て、今はたぶん立てていたのではないかと。胸を張ってはいえないんですけど。

 

山崎:いや、よくやってくれたと思っています。本当にさんざん苦労をかけた。でも、おかげさまで、新たな女性映画が出来たなと今は思っていて。映画は90パーセント以上を男性監督が占める。それで男性監督の描く女性像に違和感を抱いていた。というのも、男性監督は女性の美しさだけを強調することが多くて、女性が男性の対象物でしかない印象を受けていたんですね。それをいい意味で今回はひっくり返したいと思っていて。“裸は単なる裸だよ”といった風に特別美しくもなければ醜くもない。ひとりの女性が日常の中でふと輝く瞬間と、逆に不細工な瞬間も自然に映し出したかった。おかげさまで、そういうヒロイン映画が生まれたんじゃないかなと思っています。

―いや、僕も男性監督の描く女性映画、女性監督の描く女性映画ともまたなにか違う印象を抱きました。

渡辺:私自身の率直な感想は、山崎さんはとにかく女性を見ていたいんだなぁと思いました(笑)。

山崎:僕はフェミニストですから(笑)。

渡辺:ここまで女性を見ていたい人、たぶんいないんじゃないかなぁ。どんな女ももれなくみていたい。そこがすごい。その一人に今回は選ばれて、とっても光栄です。



 
  Profile: 山崎裕(やまざき・ゆたか)

1940年生まれ。
日本大学芸術学部映画学科卒業後、フリーの撮影助手を経て65年、長編記録映画『肉筆浮世絵の発見』でフィルムカメラマンとしてデビュー。以降、テレビやCM、記録映画などで撮影のみならずプロデューサー、ディクレターとしても活躍。99年、是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』で初めて劇場用映画の撮影を手がけ、『誰も知らない』(04)『歩いても 歩いても』(07年)など、ほとんどの是枝作品の撮影を担当する。そのほかの代表作に、『沙羅双樹』(03)、『カナリア』(04)『たみおのしあわせ』(07)ほか。『トルソ』は初の監督作品となる。※7月10日よりユーロスペース、8月14日より名古屋シネマテーク、9月4日よりシネ・リーブル梅田ほか全国順次公開中。

『トルソ』公式サイト
http://www.torso-movie.com/


(C)2009“Torso”Film Partners
   

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