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TOP > INTERVIEW:行定勲インタビュー
★インタビュー

「映画が好きなのに、映画を撮ることになってしまって、かえって辛いこともあるんですよね」『GO』(2001)や『クローズド・ノート』(2007)など、日本でもっとも人気のある映画監督の一人ともいえる行定勲監督。実は自主映画の助監督出身。日本映画祭ジャパンカッツで『パレード』(2010)と『世界の中心で愛をさけぶ』(2004)が上映され、ニューヨークに滞在していた行定勲監督に、現地記者が単独インタビューを行った。

取材・文/植山英美

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インディーズがメジャーをひっくり返さなくてはいけない

ロサンゼルス映画祭を終えられて、そのまま直接来られたのですか。

行定:いえ、その間に台北映画祭に行ってきました。

『パレード』の上映を終えられてロサンゼルスでの観客のリアクションとニューヨークのそれとでは何か違いがありましたか?

 
行定:米国人の観客に向けて作ってはいなかったので、退屈に思われたらどうしようかとか心配もしていたんですが、ニューヨークのお客さんの反応は、理想的でしたね。自分なりにこういう反応をして欲しいと思っていた事が、そのままありましたので。一般のお客さんも、映画をよく観ているお客さんも、一様に良い反応をしていただいたようです。ロサンゼルスのお客さんはどちらかというと、ポップコーン片手に、という感じで、前半のコミカルな部分は、大笑いするんですよね。観客に上手く伝わっているのかどうか、不安になるくらいで。ニューヨークでは、イメージ上の日本と、本作品に出てくるような現実の日本とのはざまで解釈してもらえましたので、納得できる反応でした。過剰に演出しているわけではないので、淡々とした部分も、若い人からお年寄りまで理解していただいたようです。

Q&Aでも観客から、作品の内容を噛み砕いて理解した上での質問が出ていましたね。

行定:日本では、批評家などから思ってもいないような解釈をされたこともありました。サスペンスとして観ちゃうというか、犯人探しをしてしまったり。ニューヨークで19歳の米国人女性から「後味が悪いんだけど、気持ちよさに浸っている」と言われたんです。非常に鋭い感性だと思いました。

日本の映画業界では、商業的な映画に対して、批判的な土壌があるのでしょうか?

行定:娯楽性と芸術性が、相容れないものとは思っていないです。米国人ならジム・ジャームッシュとか、2つとも上手く取り入れている監督だっているわけですし。

日本では難しいと?

行定:今の日本の映画業界は数字の世界になってしまってますね。ヒットさせなくてはいけないという状態にどんどん陥っていった。僕が映画の業界に入り始めた頃、お金が儲からなくて当たり前だったのに、そのうち、低予算の自主作品でも、少しでも観客動員を増やさなくては、と思っている野心的な連中も増えてきた。その中で僕はインディーズの助監督をずっとやっていたんだけど、どこかで、インディーズがメジャーをひっくり返さなくてはいけないという意識でやって来た。

それは成功されたわけですね。

行定:観客を取り戻さなくてはいけないという意識の下に僕は監督デビューして『世界の中心で愛をさけぶ』があって、『北の零年』があって…。2004年の『世界の中心』から2008年くらいまで、(映画)バブルがあったんですね。『世界の中心』もそうですが、テレビ局が参入してきて、そこで急に膨らんできた。その前に『踊る大捜査線』(98)がビッグヒットになって、TVドラマでキャラクターを浸透させておいて、その上で『ザ・ムービー』をやる。“(映画が)続編になりますよ、完結編になりますよ”と観客を煽る、それが主流になってしまったんですね。それと平行してテレビ局は自分たちのスタッフを使えばコストも落とせるし、制作費も落とせるし、フィルムにこだわるとか、光と影にこだわるような連中ではなくて、ビデオで映っていればいい、それをちょっといじくって、芸術的にしてしまうとか、ただそれは本質的なものではない。僕達が光と粒子にこだわっているのとはちょっとわけが違う、似て非なるものが、一般の観客を宣伝効果でもってして、取り込んでいく。ある程度脚本がよく出来ていれば面白く観れるのだけど、映画の本質はそこじゃないだろうと。映画は映画でしかやれない、映画の中の空間、ある種不可解さというかね。観客がそれを持ち帰って、何を生み出すか。生み出すのは作り手側だけじゃでなくて、観客なのですね。そこで何を観るか。真実なのか真実でないのかも含めて、観客から何かを生み出してもらわないと、映画として成り立たないっていう、観客と作り手の信頼関係が、今ではもうなくなっている気がするんですね、日本では。


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日本の観客は“感情の答え合わせ”をしているのでは…

どの時点で、テレビが映画を支配してしまったのでしょうか?

行定:4年前くらいですかね。日本映画と洋画のシェアで興行収入が逆転したのは、2008年で、その勝ちパターンは何かっていうと、テレビドラマで視聴者に熱を持たせて、満を持して最終回を映画館でやるという形で。

テレビ局が儲かっていないからですか?

行定:それはありますね。映画は格好の新しいビジネスの形だった。それと映画を作るという事は全く違うことなので、それが見えてしまうというのは、プロフェッショナルでなくてもわかりますよ。

ファーストフードを喜ぶ感覚というか、どこで食べても同じ味で安心する風潮があるのでしょうか? TVと同じような映像を観ることに、かえって安心するというか…。

 
行定:ある意味、観客は感情の答え合わせをしているのではないでしょうか。ニューヨークの観客は、映画の本質をきちんとわかっていますね。先ほども東京からわざわざ来ていただいて、足を運んでくださった日本人の観客と話したのですけど、「本来映画ってこうやって観るものなんですね、日本だと可笑しいと思っていても周りが笑わないと声を出して笑ってはいけない風潮がありますので、こんなに自由なものなのですね、学びました」と言ってらっしゃいました。日本の観客は間違いを恐れる。でもニューヨークでなら、一人でも可笑しければ笑いますよね。

アジアでの反応はどうですか。台湾とか。

行定:台湾でも韓国でも笑います。日本だけです、抑圧してしまうのは。

日本の観客は全部受け入れてしまうのでしょうか? 例えば日本の劇場でスクリーンが曲がっていても文句が出なかったという話を聞いた事があります。

行定:それはあると思いますね。例えば、三谷幸喜や宮藤官九郎の作品なら、笑っても良い作品だと思って観に行くのですが、僕の作品で笑っていいのかと言われると、笑っていいんですよ。先入観もあるでしょうが、自分の意見を持つべきです。自分で考えているんだけども、最終的に解釈にまで結びつかない、という事は、日本ではあるんじゃないでしょうか。


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求められているのは“映画”そのものではない

日本では一部のミニシアターが閉館しています。

 
行定:小さな洋画の配給会社もつぶれていますよね。それに対しての危機感がかなりあるんですよ。今はスクリーン数が増えた代わりに、客をもっと入れようとしたり、客の入らない映画は回数を減らそう、となっている。昔はどんなに客が入らなくても、1ヶ月間はきっちり上映した。今は下手すると初日に人が入らないと翌週から4回が2回となってしまったり。そういう状況になってしまうと、製作側はお手上げなんですね。

宣伝部では何館で上映していると言ってしまう。

行定:反対にお客さんの入らない映画は初めから上映できなくなってしまいますから、90年代の東京で“世界の映画で観られない映画はない”と言われていたのに、最近ではカンヌでパルムドールを取った映画でさえ公開できない状況になって来た。それが不景気と伴って、映画会社もできるだけ資金を回収しなくては生きて行けない状態なんですね。

映画の制作費は、自主の映画の超低予算から、『北の零年』の15億円まで、非常に開きがありますが、大きな予算の映画が製作しにくくなっていますか?

行定:淘汰されています。90年代まで、16mmフィルムで撮って、6000万円から8000万円くらいが低予算と呼ばれていたんですけども、今では主流が1億から1億5千万円くらいになってきていますね。そうじゃないと回収できない。

今、日本映画で唯一盛り上がっているのが自主映画だと思うのですが、とても良い作品で、海外でたくさん賞を取っている作品が多くある反面、そのよう作品が公開さえ出来ない事情があります。

行定:それは観客が求めているものが、映画本来ではなくなってきているからではないしょうか。作品自体というよりも、誰が出ているとかのほうが、重要になっている。


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人の力を最大限に引き出すことが監督の役目

Q&Aでは、キャスティングをプロデューサーに任せている、とおっしゃっていましたが、商業的に成功するのはキャスティングが大事なのでしょうか。

 
行定:それが一番重要なのではないでしょうか。僕の場合は、キャスティングをプロデューサーに任せておけば、描き方はこちらに任せてもらえる。僕は俳優に上手い下手はないと思っているんです。その人の持っているものをいかに十二分に引き出せるか。もし出来ない事があるのなら、それを補填するのは僕らの仕事なわけなんで。引き出してあげるか、加えてあげるか、上手く補填してあげれば良いと思います。

気にいらないキャスティングの時もありますか?

行定:プロデューサーが僕の顔色を伺っていてはだめなので。一緒に心中してもらわないと(笑)。一緒に最後まで戦いたいですし、信頼関係が一番大事ですからね。

以前監督がインタビューで、作家性が見えない作品を目指しているとおっしゃっていましたが。

行定:それは僕でなくて、吉田修一が言ったんですよ。彼が「いろんなジャンルに挑戦して、またそれをこなしているのを、理想としている」と言っていて。僕自身は意識的にやっているかというと、そうではないのです。僕は将来もずっと映画監督をやっていたいし、作家という言葉があまり好きではないのです。映画は自分ひとりでやっているんじゃなくて、人と人の力を得て、何か表現しているわけですよね。人の力を最大限に生かして、それをどういう塩梅でさじ加減をやれるかというのが監督なわけで。僕は作家性というのは死んだ時にわかればいいと思うんです。その時点で振り返ってこの人の人生はこうだったから、監督自身のコンプレックスや思想が、分かってくるのが作家性だと思うんです。

最後に次回作について教えてください。

行定:次は戦時中の脱獄囚の話をやる予定です。恐れられながらも英雄視されていくというストーリーで、今シナリオを練っています。面白くなると思います。



 
  Profile: 行定 勲(ゆきさだ・いさお)

1968年熊本県生まれ。
『OPEN HOUSE』(1997)で長編劇場映画デビュー。第2作『ひまわり』(2000)は、第5回釜山国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。窪塚洋介主演『GO』(2001)の成功で一躍脚光を浴び、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)、『北の零年』(2005)、『春の雪』(2005)などの監督作品で不動のヒットメーカーとしての地位を確立。劇場公開最新作は、吉田修一原作『パレード』(2010)。

   

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