HogaHolic LOGO
topNEWSREVIEWVOICETHEATERFEATURE
filmfestival
TOP > INTERVIEW:井土紀州インタビュー
★インタビュー

映画監督、脚本家として活躍する井土紀州。インディペンデント映画の製作と上映にこだわって活動を続けてきた彼の、これまでの軌跡を辿る特集上映が現在ユーロスペースで開催されている。デビュー作『百年の絶唱』を代表に既存を打ち破るようなコアな作品を発表してきた井土監督らしく、タイトルはずばり『映画一揆』。デビューから約10年の歩みはどういったものだったのか? インディペンデントのスタイルを続ける彼が今後進もうとしている道とは? 独自の創作活動を展開する彼に訊いた。

取材・文/水上賢治

line
(1)映画作家・井土紀州の“初期衝動”
 〜デビュー作『百年の絶唱』に至るまで


――今回の『映画一揆 井土紀州2010』は井土監督の監督としてのフィルモグラフィーがほぼ辿れる内容です。そこでこれまでの歩みをお伺いしたいのですが、映画界に入られるきっかけをまずは教えてください。

  『百年の絶唱』
『百年の絶唱』
井土:学生時代から映画を作りたい気持ちはありました。ただ、映画業界に入るきっかけは別で。今はなくなってしまいましたけど、自主管理のもと、様々な公開企画を実施していた法政大学学生会館というのがあったんですね。ここの運営に僕は大学在学時に関わっていたんですけど、そこに「シアター・ゼロ」という自主上映団体がありまして。80年代からサミュエル・フラー監督などを上映していた。僕はそのシアター・ゼロのスタッフだったんです。その関係もあって、シアター・ゼロのOBで現在は映画批評家として活躍されている安井豊さんが、当時アテネ・フランセ文化センターで働いていたときに声をかけてくださって、アテネ・フランセで映写技師をやることになったんです。だから、どちらかというと上映サイドから映画の仕事に関わり始めた。一方、いまも「スピリチュアル・ムービーズ」で一緒にやっている吉岡(文平)と『第一アパート』という映画を撮ったのもその頃で、1992年くらいですね。

――たぶん、その後になると思うのですが、瀬々敬久監督のピンク映画の脚本家としてデビューを果たされます。これはどういったきっかけだったのでしょう。

井土:これも上映絡みです。アテネ・フランセで「新日本作家主義列伝」というピンク四天王を世に知らしめるきっかけとなった特集上映を安井さんと企画したんです。ちょうど大学を出て、少したったころでした。そのとき、瀬々監督に出会って、“ピンクの脚本を書いてみないか?”と声をかけていただいたんですね。実はそのころ、『百年の絶唱』を撮っていたんですけど、ラッシュを見て映画としてまだ強度がないと感じて、結局そこに諸事情がからんで中断していた。そういう時期だったので、お話をいただいたとき、“これは”と思い、本格的に脚本を書き始めたんです。今考えるとこれは大きな経験で。それまでは我流で映画作りをやっていたんですけど、プロの仕事を経験することで映画のいろいろなことが見えてきた。特に脚本作りについては見えてきたことが多い。その経験をある意味、フィードバックして追加撮影をして出来上がったのが『百年の絶唱』でした。だから、自分の意志として立ち上げたことと、人から引っ張られて自分が関わらせていただいたことが微妙に交じり合って、20代後半から自分の映画作りがいよいよスタートした感じでしたね。

――その監督デビュー作となる『百年の絶唱』はどういった発想から始まったのでしょう?

  井土紀州

井土:記憶がもう定かではないんですけど、映画を作るきっかけになったのは、ダムに沈んだ村と小学校の風景です。僕の地元は紀伊半島の三重県北牟婁郡海山町というところで、海沿いの町なんですけど、昭和40年代に奈良県の上北山村というダムに沈んだ集落の人々が移り住んできていた。三重県と和歌山県、奈良県の県境が複雑に入り組んだ、かつては熊野と呼ばれたエリアです。それで子供のころによくその村の住人だった方から“自分たちの集落はすべて水の底に沈んで、高台にあった小学校だけが今も残っている”なんて話を聞いていたんですよ。これには子供ながら想像力がかきたてられました。“ひとつの村がダムに沈んだ風景ってどんな感じなんだろう”って。その記憶がずっと心のどこかにひっかかっていて、大人になってから実際にそこに行ってみたんです。奈良と三重の県境でもう誰からも見捨てられたような辺境でしたけど、僕は圧倒されて“すごい”とえらく感動を覚えた。次の瞬間に“この風景を撮りたいと”思ったんです。それが初期衝動でしたね。

――結果的に『百年の絶唱』は自主映画ながら公開されると各方面から高い評価を得て、さらに興行的にも異例の大ヒットとなりました。これをご自身はどう受け止めたのでしょうか?

井土:正直なことを言うと、今振り返ってもよくわからない。ただ、自主制作でしかも8mmフィルムで撮られた映画の公開は当時はあまりなかった。また、サブ・カルチャーを扱った雑誌メディアがずいぶん支持してくれて。そのあたりのものめずらしさがうまく絡み合って、まあ世間的なところの“異例のヒット”になったのかなぁと思います。でも、戸惑いましたよ。多くの人に観てもらいたいとは思ってましたけど、これほど反響を得るとは夢にも思っていませんでしたから。

――先日、熊切和嘉監督にお会いした際、PFF準グランプリを獲得した『鬼畜大宴会』のことを少しお聞きしたんですよ。振り返ると『鬼畜大宴会』と『百年の絶唱』は同年公開でした。熊切監督は当時、どこかPFFで主流にあった自主映画は青春の甘酸っぱい感じともいうべき、蒼いというか瑞々しいようなイメージがあって、自分はそれとはまったく反対の映画だったので受賞はびっくりしたといってました。確かに当時の自主映画は、そんな蒼いイメージがありました。そう考えると『鬼畜大宴会』も『百年の絶唱』もとてつもない異彩を放っていたと思います。

井土:熊切君と同年に公開されたことはよく覚えています。いろんな場所で顔を合わせることが多かったし。彼とは去年のロッテルダム映画祭で久しぶりに一緒になって、嬉しかったですね。まあ、どっちも決しておしゃれな映画ではなかった(笑)。

――もっと土着的で泥臭い感じ。へんなナイーヴさや優しさもない。

井土:そういうものへの反発があったのは確かだと思います。正直なところ当時は、尖って突き刺す作品を目指していたところありますから(笑)。反時代、反社会的な作品を作ってやるといった気概はありましたね。まだ若かったですし(笑)。

line
(2)ビデオ・ドキュメンタリーの可能性への追求
 〜『ヴェンダースの友人』『LEFT ALONE』での転換点


――それで、これは井土監督自身の監督作ではないのですが、『路地へ 中上健次の残したフィルム』について少しお話を聞きたいと思います。というのも私自身が井土監督のお名前をはっきりと認識したのはこの作品だったんです。案内人という役割でしたけど、これはどういった経緯で話がきたのでしょう?

井土:実は青山(真治)さんとは付き合いが古いんですよ。青山さんが助監督の頃、僕はアテネ・フランセで映写技師のアルバイトを始めていて。青山さんは映画を観にアテネ・フランセに通っていたから、自然と顔見知りになった。先ほど話に出た、安井さんや、僕の前任でアテネ・フランセの映写技師だった、先ごろ『東京島』を撮った篠崎誠さんとよく飲んでいたんですね。その四方山話の中で、中上健次の熱狂的なファンの青山さんは、僕の地元が中上健次の故郷・新宮と近いので“一度行きたい”とずっと言っていたんです。それで確か中上健次が亡くなった年だったので1992年だったと思うんですけど、“紀州ツアー”と題して紀伊半島を回ったんですね。これが青山さんにとって初めて中上が生まれ育ち、小説の舞台となった熊野を体験したときで、その体験は青山さんにとってはすごく印象深かったんだと思います。だから、映画ではその時の旅のルートを辿っている。さらにその後、中上健次が消えゆく路地を記録した16mmフィルムが発見されて、『百年の絶唱』をユーロスペースで公開するとなったとき、それを同時上映する機会があったんです。そのとき、この16mmを使って1本何かできないかと青山さんは考えたみたいで、この作品につながっていった。その双方の過程に僕がいみじくも関わっていたので、その流れで話がきたんだと思います。

――『百年の絶唱』のあと、井土監督が発表するのは2部構成のドキュメンタリー『LEFT ALONE』になります。単純に推測すると、『路地へ 中上健次の残したフィルム』の経験から、――舵を今度はドキュメンタリーにきられた気もするのですが。

  『レフト・アローン』
『LEFT ALONE』

井土:それはないですね。確かに『百年の絶唱』でご一緒させていただいた録音の菊池(信之)さんと再会できたり、カメラマンのたむらまさきさんと出逢えたりと大きな経験にはなっているんですけど、『LEFT ALONE』につながった感じではない。ドキュメンタリーに興味を持った実際のきっかけは『LEFT ALONE』を撮る前に作った『ヴェンダースの友人』です。この作品は公開されていないんですけど、福岡の図書館の企画で撮ったビデオ・ドキュメンタリー。今では普通にHDで撮っていますけど、当時は多くの作り手がそうだったように僕もデジタル・ビデオに抵抗があって、依頼がきたもののフィクションをやる気がまったく起きない。じゃあ、どうしようとなったとき、自分が好きな人なら撮れるなと思って、僕が映画を観る上で大きな影響を受けた山本均さんを追ったんですね。で、結局これが山本さんの話をひたすらずっと聞く、インタビュー・ドキュメンタリーになった。これをやったとき、このインタビュー・ドキュメンタリーの手法は“面白いぞ”と思ったんです。

――それが『LEFT ALONE』につながった。

井土:そうですね。それと同時にビデオを長時間回して、それをパソコン上で編集していくという、今では当たり前の制作スタイルが割と普通になり始めた頃です。言葉を編集して、それを映像としてきっちりみせる。そこで何ができるのかを試したいという気持ちが自分にも芽生えてきました。それから、実は『百年の絶唱』のあと、『ブルーギル』という劇映画を撮ろうと動いていたんですけど、結局、見通しが立たなくてダメになってしまった。それで“どうしよう”となったとき、予算を抑えた中で、企画力のあるものを作るしかないと思って。それがインタビュー・ドキュメントは可能で、そこから『LEFT ALONE』の構想が立ち上がった。ビデオ・ドキュメンタリーの可能性の追求と、劇映画による正面突破が不可能になった時の迂回戦術的な次の一手がうまくシンクロして、『LEFT ALONE』につながっていった感じですね。

――主人公の絓秀実(すがひでみ)さんとはどういった経緯で知り合ったのでしょう?

井土:当時、絓 秀実さんは68年を転機に大きく転換したニューレフト運動についていろいろと書き始めていて、それについての彼の主張や分析がひじょうに興味深かったんですね。「六八年革命」を軸にしたこの時代の学生運動や社会の動きは今の日本を考える上で、ひじょうに重要ですし、自分としても興味があった。そしたら偶然、「映画芸術」で対談する機会をいただいたんですね。これはもう、そういう流れだろうと。そのあと、『路地へ 中上健次の残したフィルム』が熊野大学で上映されたとき、僕も行くことになったんですけど、ゲストとして絓 さんもいらっしゃっていて。そのとき、飲みの席で酔った勢いも手伝って、プロデューサーの吉岡(文平)と“68年のこと映画にしませんか?”といっちゃった。そうしたら、絓 さんも乗ってくれて、動き始めたんですね。

――今回、久々に『LEFT ALONE』を拝見したのですが、メチャクチャ面白い。当時は絓さんをはじめ、登場する濃い人々(笑)の繰り広げる会話にひきつけられていた印象があったのですが、実は違うことに今回気づきました。ひじょうに言葉の選択がなされていて、映像も実にカメラが被写体ににじりよっていったり、離れたりと“ただ撮るだけ”で終わっていない。主観のきっちりと入った丁寧な編集がされた作品だと思いました。

  井土紀州

井土:この作品でやったことはもう二度とやりたくない(笑)。実は収録した対談をすべて文字におこしたんです。何十時間という膨大な対談を。その文字に起こしたものを読んでまずは紙の上で編集していった。映画ではあるのですが、文章にしたときどうすればより面白く、より端的にそこで展開された話を凝縮させて表現できるのかをずっと考えていて。まず、最初に松田(政男)さん、西部(邁)さん、柄谷(行人)さんら登場される方々の話にじっくりと目を通して、ひとりずつの意見としてまとめていった。次に今度は映画全体をみたとき、各人の話がつながっていくポイントが必ずあって。そこを探しだして、きちんと密につなげていく。“ここには編集しうる何かがここにはある”と思える箇所が文章から見えてきて、それを映像にフィードバックしていく。そういう作業を延々と繰り返していました。

――僕もインタビューを生業とする人間なので、その作業の苦労はひじょうにわかります(笑)。気が狂いそうになりますよね?

井土:そうなんですよ。今振り返ってもなんであんな作業をわざわざやったのか不明で(笑)。ただ、実験精神がどこかにあったんでしょうね。たぶん。まあ、これは今にもつながるのですが、『百年の絶唱』のときから、あんまりほかの人間がアプローチしないことややり方に取り組もうと常に思っていたので。

line
(3)スタイルを確立した手応えと新たなる変革
 〜『ラザロ』三部作を経て『行旅死亡人』へ


――ドキュメンタリーを経て、3部構成の『ラザロ―LAZARUS―』に今度は舵を切るのですが、これはある意味、瀬々監督がやられている社会性や時事性がひじょうに濃く入ってきている作品ですね。

井土:大学在学時から『LEFT ALONE』までで、自分の中で社会や時代について考える機会が相当ありました。その中で、時代について考える映画を作りたいという欲求が高まってきたのは確かです。社会をみたとき、現実をみたとき、今の自分に映画で何ができるのだろう?というようなことを考え始めた。瀬々さんとピンク映画を作る中で、そういうものが意識に強く入り込んできたところもあります。

――映画は格差社会など、日本が抱える問題により憎悪を増幅させていくマユミが主人公。現代の歪みが生んだともいえる彼女が、現在の日本という国に反旗を翻すように反社会的行為を繰り返していく。それが時系列としては第1部の『蒼ざめたる馬』が現在、第2部の『複製の廃墟』が未来、第3部の『朝日のあたる家』が過去という形式で描かれます。こういう構成になったことを含め、ここで考えていたことはなんだったんでしょう?

井土:これは先ほど話したように、社会や現代についていろいろと考えているうちに、そういう自分が感じていた不条理や理不尽なことが積み重ねられていき、それをすべて背負う形でマユミという登場人物が生まれた。そしたら、この突然変異的なキャラクターに付き合わざるをえなくなってしまったんですね。『蒼ざめたる馬』を作り終えたとき、“これでこいつは終わりじゃないよな。このあと、何をしでかすんだろう?”と思った。それで作ったのが『複製の廃墟』。それを作ったら今度は彼女という人物はどうやって生まれたのか描かずにはいられなくなった。それで作ったのが『朝日のあたる家』。もう、この時期はマユミという人物以外で映画を作ることが考えられなかった。何かマユミに背中を押されて作っていった感覚があります。

――ただ、これは失礼に当たるのですが、3部作の最終章『朝日のあたる家』になるほど、演出、役者の演技がどんどん研ぎ澄まされていく印象で。映画自体がひじょうに成長していって成熟していったようなところを感じるのですが。

井土:それはあると思います。僕もいわゆる俳優さんを前にしての演出は『百年の絶唱』以来で、カメラワークやスタッフとのコンビワークも含めて映画を経るごとに進歩していっているところがありました。映画でスタッフもキャストも成長していったところはたぶんにあると思いますね。マユミ役の東(美伽)さんも『朝日のあたる家』では役柄的には若くなっているんですが、ひとりの存在感ある女優さんになっていた。『朝日のあたる家』は自分の映画作りというものをひとつ確立したような手ごたえがありましたね。

――そして、次が昨年発表された『行旅死亡人』になるのですが、正直びっくりしました。井土監督の作品にはどこか先鋭的なところがこれまでにあったと思うのですが、この作品に関してはある意味、使い古されたTVドラマ的サスペンス調の演出や、王道ともいえる起承転結のつけられたストーリー展開、すべてが“スタンダード”であり“オーソドックス”なスタイルをとっているといっても過言ではない。お話はどれだけ本物っぽく、人物はよりリアリティが出せるかが勝負になっている今の映画界において、これをやるのはすごい勇気のいること。言葉は悪いのかもしれませんが“フィクションできちんとした見世物をやろうとしている”と思いました。同時に、これはこの前、別の監督ともお話したのですが、今の映画が妙なリアリズムだけでいかに映画っぽくなってしまっているかとも思えたんです。

  『ラザロ-LAZARUS-』
『ラザロ-LAZARUS-』

井土:それについて考えることはありました。というのも『ラザロ』を作っていく段階から、フィクションの強さを信じたいと思い始めていたんですよ。現実及び現実らしさを映画にしていくのではなく、現実とは別の世界をきっちり作りこんだからこそより伝わる、感じることもあるのではないかって。『ラザロ』はマユミという強烈なキャラクターが生まれた時点で、彼女にあるがまま暴走させてしまえばフィクションが自然と立ち上がっていたと思うんですね。そうではなくむしろ逆の形。どこにでもあるような風景と何の変哲もない日々が基本にあって、そういうありきたりのことをモチーフにしながら目の離せないフィクションを作れないかと。現実のリアルと、フィクションのリアルはやはり違う。僕としてはフィクションの中のリアルを追求していきたい。あと、僕は職業としてシナリオライターをやっているから、どうしても映像というものがある種のリアルとしたら、シナリオはフィクションだと思っているところがある。常にそこでせめぎあっているし、その双方が融合するのか、反発するのかいまだによくわからない。そこを見極めていきたいと思っているところもあります。

――演出面はかなりスタンダードスタイルみたいのを“あえて”やっていますよね。だからラストの静止画で終わるところなんかはニヤリとしてしまう。“昔の映画はこういう終わり方があったなぁ”と。

  『行旅死亡人』
『行旅死亡人』

井土:そうですね。かつて、橋本忍や野村芳太郎が作りだしたミステリー映画や、それを養分として発展した初期の火曜サスペンスや土曜ワイドなどの二時間ドラマ、自分が好きで見ていて影響を受けたものを一度やってみて、モノにしたいところがありました。そこには僕が映画を作る上で絶対手放したくない通俗性がある。みんな通俗をバカにしますけどね。そういう映画における通俗性、そのための演出や物語の黄金率みたいのをちょっと自分なりに追求したいと思ったんですね。そういうことで試行錯誤したのが『行旅死亡人』でした。変遷はあったと思うんですよ。『百年の絶唱』の頃は、映像で何かを変えるということをものすごく考えていた。そこでは、どこか役者の芝居を置き去りしていたところがあるんですね。それが『ラザロ』をやっているうちに、芝居をどう作り上げていくのか、それをどういうカットやシーンとして撮っていくのかすごく考えるようになった。『行旅死亡人』は、その流れでさらに演出を考えたといえますね。映画って両親がいると思うんですよ。父親が写真だとしたら、母親が演劇で。いわゆる劇映画のルーツってこの二つで、『百年の絶唱』の頃はひたすらショットとして映画を考えていたんですね。だから、どこか芝居はおろそかにしていた。でも、『ラザロ』以降は、芝居と役者への興味がどんどん湧いてきています。


line
(4)自主映画だからこそ“できること”“やるべきこと”とは?
 〜新作『泥の惑星』『土竜の祭』『犀の角』への軌跡


  『泥の惑星』
『泥の惑星』
――それで今回の3本の新作『泥の惑星』『土竜の祭』『犀の角』なのですが、その演出をさらに推し進めた形ですよね。『行旅死亡人』はサスペンスだったらサスペンスの形式にのっとった演出を明らかな形でやられていた。でも、今回はさらにそういうところをそぎ落として、とりたてて大きな事件や事象が起こることもなく、そこに派手な演出を用いることもない。それで映画をどれだけおもしろくみせられるかに挑んでいるように思えました。例えば成瀬巳喜男の作品などの世界です。日常のたわいもない瞬間だけで映画を1本仕立ててしまうような。

井土:おっしゃるとおりですね。今回の三作品でまさに意識していたのは成瀬巳喜男の視線やしぐさの演出だったりしました。視線を切り返すだけで、ひとつの喜びが生まれるような映画。そういう映画を本当に作りたい。少しでもそういう映画になればと思って作ったのが今回の三作です。

――例えば『犀の角』はオウム真理教を想起させる新興宗教団体の少女が軸になっていて、『土竜の祭』では実在の少女失踪事件を扱っている。『泥の惑星』も自殺問題がクローズアップされています。扱っている題材はいくらでも過激にドラマチックに描くことができるものなんですけど、そこを、声を荒げることなくあえてさらりと見せていく。今の映画は過剰な演出になりがちですから、そこが逆にすごいと思いました。

井土:過剰な演出や様々な注釈説明をつけると無駄に尺だけが長くなるんですよ。

  『泥の惑星』
『土竜の祭』

――失礼に当たると思うのですが、映画がすごく軽やか。軽快なんです。肩肘はらずに見れるというか。でも、映画の核となるところはずっしりと伝えてくるんです。『泥の惑星』ならば今の学生たちの閉塞感みたいなものが伝わってくるし、『土竜の祭』ならば愛する子供が突如消えた親の気持ち、またその事件が風化していく過程でおきる人々の対応について深く考えさせられる。『犀の角』では日本の社会であり“世間”について考えをめぐらせることになる。

井土:そう感じてもらえるのはうれしいです。

――最後に自主映画で基本的に活動を続けてきた井土監督ですが、何か自主映画だがやるべきことや、自主映画だからこそできることで考えてきたことはありますか?

井土:昔はものすごくよく考えました。“自主映画だからこそやれることをやろう”と。これは僕がシナリオライターをやっているから余計になのかもしれないんですけど、一緒に仕事をしたプロデューサーに“こんな企画は思いつかない”とか“こんな物語は一般映画ではできないよ”といわれるようなもの。そう思われるものを考えなきゃいけないし、作らなければいけないと思っていました。これは今もある意味、変わっていない自分の映画を作るひとつのアイデンティティだと思う。でも、今は少しだけスタンスが変わってきていて。何か自分の嘘偽りのない剥き出しの魂みたいなものがひとつ入っていればいいのかなって考えるようになりました。そういう意味で、以前より自分自身はオープンなスタイルになってきていますね。

――では自主映画を作っているつくり手にアドバイスのようなものはありますか?

井土:ただただ、“パワフルなものを見せてほしい”それだけです。

  『犀の角』
『犀の角』

――講師として未来の映画監督を目指す若者と向き合う機会も多いと思います。今の若い世代に感じることはありますか?

井土:今の若い世代を向き合ってみての印象は、“昔と変わらないなぁ”ということ。今日も映画学校の実習に立ち会ってきたんですけど、普段は斜に構えているようなヤツでも映画を作り出すと無我夢中でやっているんですよ。そういう瞬間を見るたびにすばらしいと思うし、同時に映画って残酷で罪作りだなぁとも思う。産業的に未来が明るいわけでもないのに、“また映画の魔力にとりつかれた人間がひとり生まれているなぁ”って。“そうだろ、映画作るのって最高だろ”と口にでかける一方で、“およしなさい。ここは地獄の一歩手前だよ”と心の中で呟いている毎日ですよ。

――監督としてのキャリアが10年以上過ぎたわけですが、振り返ってみていかがですか?

井土:いやぁ、20代は苦労の連続ではっきり言って思い出したくない。暗中模索で進んでその先のことなんて何も見えなかった。でも、『百年の絶唱』を完成させた30歳手前でようやく何かが見えてきて、『ラザロ』の三本目で自分の映画作りがつかめてきた。現在42歳ですけど、やればやるほど映画は面白くなってきますね。


井土紀州監督 Recommend

■好きな映画
『次郎長三国志』第一部〜第九部
『フルスタリヨフ、車を!』
『必殺仕置人』(TVシリーズ)

■好きな監督
マキノ雅弘
澤井信一郎
マイケル・チミノ

■好きな俳優
山崎努
蟹江敬三
アル・パチーノ

■好きな女優(ガキの頃、スクリーンに恋をした女優さんたちです)
薬師丸ひろ子
ジェニファー・ビールス
フィービー・ケイツ



 
  Profile: 井土紀州(いづち・きしゅう)

映画監督・脚本家。
法政大学在学中に松阪高校時代からの仲間である吉岡文平と『第一アパート』を製作、東京学生映画祭において崔洋一に絶賛され、特別賞を受賞。その後、吉岡文平らと共に映画製作集団「スピリチュアル・ムービーズ」を立ち上げ、『百年の絶唱』、『LEFT ALONE』などを監督。8mmで撮影された『百年の絶唱』はレイトロードショー公開され、僅か8日間の上映にも関わらず、およそ1000人もの観客を動員した。2007年、『ラザロ-LAZARUS-』(3部作「蒼ざめたる馬」篇、「複製の廃墟」篇、「朝日のあたる家」篇)がポレポレ東中野にて公開。2009年、『行旅死亡人』が新宿シネマートにて公開。2010年11月13日より、新作『犀の角』『土竜の祭』『泥の惑星』を含む、「スピリチュアル・ムービーズ」製作の井土紀州監督作計7作品が<映画一揆 井土紀州2010>として公開中。

<映画一揆>公式サイト
http://spiritualmovies.lomo.jp/eigaikki.html
   

ページトップへarrow    



©2008 HogaHolic TRYWORKS LOGO