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熊切和嘉インタビュー

大阪芸術大学の卒業制作として発表した『鬼畜大宴会』が異例の劇場公開になると同時に異例のロングランヒットとなり、一躍注目の新鋭として脚光を浴びた熊切和嘉監督。それから早10年以上が経ち、彼はこの間に様々なタイプの作品を作り上げてきた。その中で、今回届いた新作『海炭市叙景』は、彼の目指す映画作りのひとつの到達点が垣間見えてくる1作といっていいかもしれない。熊切和嘉という映画監督がこれまでの歩みがあったからこそ達しえた境地が、この作品には確かに存在している。監督自身も“この作品には手応えがある”とそれを否定しない。新たな境地に立った熊切監督が語り明かす。

取材・文/水上賢治

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新境地を切り開いた『海炭市叙景』ができるまで

  『海炭市叙景』
『海炭市叙景』
(C)2010佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会
――手元に“『海炭市叙景』映画化の目的・意義”の記された資料があるのですが、そこには「函館生まれの作家による、函館をモデルにした小説を、函館ロケで映画にする」「今の函館の町並みを映像として記録し、後世への記憶に残す」「市民参加の映画づくり。映画づくりという大きな目標を掲げた自主的活動が、町に活力をもたらし、文化活動の新しい形を生み出していく」とあります。まさにこの言葉通りに、今回の映画は市民参加型の映画作りをスローガンに、企画から監督への交渉、資金集めなどもろもろを、函館のミニシアター「シネマアイリス」の支配人をしている菅原和博さんを中心とする製作実行委員会がされたとききました。本当の意味でのローカル製作映画だと思います。まず、熊切監督にはどんな形でお話がきたのでしょう?

熊切:2008年に『ノン子 36歳(家事手伝い)』で、函館港イルミナシオン映画祭に参加したんです。そのとき、菅原さんが経営されていたバーに飲みにいったんですけど、そこで僕はベロベロに酔っ払って、その頃観たばかりだった、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が“すごい”と周囲に力説していたんですよ(笑)。この話を、菅原さんが聞かれていたみたいで。当初、菅原さんの中では佐藤(泰志)さんの原作を、ロバート・アルトマンの『ショート・カッツ』みたいな群像劇に出来ないかと思っていたみたいなんですね。で、僕の話を聞いたとき、瞬間的に“ポール・トーマス・アンダーソンが好きならアルトマンも好きだろう”と思ったらしくて。それで翌日、ご飯を食べようという流れになり、そのとき、軽く今回の企画の相談を受けました。

――では、それを受けて原作を読んだ形ですか? 原作者の佐藤泰志氏は村上春樹や中上健次と並び称されながら、文学賞に無縁で自ら命を絶った函館出身の作家ということですが、ご存知ではなかった?

熊切:そうですね。佐藤さんのことも『海炭市叙景』の小説のことも知りませんでした。

――そこで原作を読まれて“やってみたい”と思った理由はどこにあったのでしょう?

  『海炭市叙景』
『海炭市叙景』
(C)2010佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会

熊切:僕は北海道の帯広出身なんですけど、ここにきていろいろ思うことがあって。今は東京に拠点を置く身ですけど、どこかで自分の本当の居場所は北海道にあるんじゃないかと。それで数年前ぐらいから、北海道に好きな俳優だけつれていって、DVカメラでいいから自分でカメラ回して撮るみたいな、もっとラフなスタイルで映画が撮れないかなと、おぼろげながら考えていたんです。また、映画のキャラクター的人物というよりも、地方都市の片隅のどこかにいる普通の人間の話を1度作りたいとも思っていた。佐藤さんの原作を読むと、まさにいま自分が描きたいと思っていた内容で。これはぜひやりたいなと思いました。

――熊切監督は過去にも漫画や小説の映画化に挑んでいます。原作があるものの映画化というので何か考えることはあるのですか?

熊切:ひねくれ者なので(笑)。“原作をどれだけぶっこわせるか?”みたいな考えに至るケースが僕と脚本の宇治田(隆史)の場合は多い。“そのままやってもしょうがないじゃない”と。それゆえ、原作のファンのみなさんからお叱りを受けるケースも多々あるのですが、僕としてはそれもまたよし。“原作はこうだけど、映像で表現するならこうした方がおもしろいだろう”なんてぐあいに基本的に原作とはまったく別物としてアプローチする感覚があった。ただ、今回に関しては、小説を読んで、この原作の世界を忠実に映像で描きたいと素直に思ったんですね。これほど原作とまっすぐ向き合ったのは始めてかもしれない。

――原作は18編から成る連作小説ですが、この中から今回は5編を映画化しています。このセレクトはどうやって?

  熊切和嘉監督

熊切:厳密に言うと実は7編くらいの要素を合体させて5編に見せています。まずプロットの段階で僕が4編を選んで構成したんですけど、それだとどうにも重くなりすぎていたので、ホンの段階で宇治田が洗いなおしてくれて、あと3編ほどの要素を足して、うまい具合に構成してくれました。選んだ基準としては、一応バランスというか、置かれている境遇や登場人物のキャラクターがなるべくかぶらないことは意識しました。でも、最終的には、最初に読んで素直に胸に響いた逸話を選んでいますね。例えば、加瀬(亮)さんが演じるガス屋の若社長のエピソードがありますけど、実は僕の実家は配管屋で兄貴が跡をついでいる。だから、この設定はなんか自分に引っかかるんですね。それから三浦(誠己)さん演じる男は、故郷に戻ったのに実家に近づかないですけど、この気持ちもよくわかる。実家に帰るたびに父に、“人間にとって水は絶対必要だけど、映画は必要ない”とか言われ続けていたので(笑)。あと、立ち退きを迫られる老女の話もそう。死んだウチの祖父母が割とあんな感じで。国道沿いの、周りから取り残されたようなボロ屋に住んで、小ちゃい畑でアスパラガスなんかを作っては町に売りに行ってましたから。

――映画は函館をモデルにした海炭市が舞台。まず、町のひとつのシンボルである造船所をリストラされた兄と妹の大晦日から元旦までを描くエピソードで幕を開ける。次に、決して終の棲家から動こうとしない老婆の逸話。次に家庭がほぼ崩壊しかかっている夫婦の物語、家業での成果が出ず、ままならない人生に苛立つ若社長の逸話が続く。そして、最後に帰省しても実家に戻らない息子と父親のちょっとした触れ合いのエピソードが語られる。この並びがひじょうに大事だったと思います。個人的な意見ですが、進めば進むほど、この町で生きる人々の放つ鼓動がどんどん大きくなっていくように感じられました。何かこの並びで考えたことはあったのでしょうか?

熊切:最終的に考えたのは、エピソードを経るごとに、町のより深いところへ入っていくことです。どんどん町の闇であったり、そこで生きる人間の深いところへ分け入っていく。そう考えたとき、この並びに落ち着きました。このあたりは脚本の宇治田がうまく風通しをよくしてくれたと思います。

――寂れゆく町の様子や、そこで生きる人々の息遣いまで聴こえてくるような映画で。この町に漂う空気や土地の臭いまでもが封じ込められているように感じました。そこから察するに、熊切監督は函館という土地に根ざして作品を作り上げていった印象を受けたのですが?

熊切:正式なスタッフが合流する前から、函館には何度も何度も足を運びました。函館という町の実感がほしかったんですね。気持ちとしては函館人として撮りたいと思った。いくたびに、最初のエピソードに登場しますけど、函館山から日の出を見て、町をめぐって、土地のものを食べる。そういう経験が最後、今回の映画の血となり、肉になるような気がしました。実際、この時間はひじょうに大きかったですね。

――その過程が映像の力につながっていると僕は思いました。それからこれはひじょうに困難なことにトライしたと思ったのですが、プロの俳優だけではなく、地元の人を多数キャストに起用していますよね。市井の人々の物語ですから匿名性が求められるわけで、ある意味、プロの俳優にはその人がもっている“華”を消してもらわないといけない。一方、逆に地元の素人俳優にはある程度の存在感を発揮してくれないと映画が成立しない。この両者を同じ土俵に上げて、ひとつの世界を作り出すのはひじょうにハードルが高いと思います。でも、これがお世辞ではなくきちんと成り立っていて、正直びっくりしました。

  『海炭市叙景』
『海炭市叙景』
(C)2010佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会

熊切:自分でもこれは無茶だよなと当初は考えていたんです。ただ、今回の映画は成り立ちからして、地元の人の力が必要不可欠。そのパワーを取り込んで完成するべき映画だと思っていて。ですから、多くの地元の方々に出演してもらうことを当初から考えていました。また、地元にこの役にぴったりという人を見つけてしまったんですね。例えば、2つ目のエピソードの主人公となる猫と暮らす老婆を演じてくれた中里あきさんは夜の裏町で見かけて、まさにイメージ通りの人物だったので何日も通ってスカウトしました。そういうことをざっくりなんですけど、プロの俳優さんには事前に説明しておいて。なおかつメイクもつかないし、衣裳も自前を用意してもらうかもとお話していました。そしたら、今回出演してくださったプロの俳優さんはみなさん快く賛同してくれたんですね。中には“浮かないように気をつけます”といって下さる方もいて。そこで僕は最初、俳優さんに素人俳優の領域に溶け込んでもらうことをイメージしていたんですね。ただ、いざやってみると、まったく違う落としどころになりました。役者さんにはなるだけ芝居をさせない。地元の出演者には芝居をさせる。その双方が融合するポイントが必ずあって。そこの域に達するまで粘りました。そうすることで今回は、プロの役者さんからは違った一面を、素人の役者からはプロ顔負けの演技を引き出せた気がしています。

――その配役ですが起用のポイントは?

熊切:燃料屋の若社長に扮してもらった加瀬(亮)くんは僕からも直接頼みました。当初、加瀬くん自身は “僕の容姿では肉体労働者役は説得力に欠けるのでは?”とヴィジュアル的な部分をすごく気にしていたんですね。ただ、実はうちの兄貴も配管屋やっていますけど、小柄でなんか無理している感じ。そういう感じを出したかった。だから、その二代目が無理して頑張っているところが加瀬くんなら出るんじゃないかと思って、“ぜひ”とお願いしました。竹原ピストルは原作の登場人物と一番イメージがかけ離れている。彼のやった役は原作ではもっと線の細い印象なんですね。見るからにナイーブな、割とイケメンな人をキャスティングするのが普通だと思います。ただ、僕は不器用にしか生きられない男の心が折れた瞬間がこの役では重要だと思って。それを表現できるのは竹原ピストルだと思いました。あと、最後に見せる彼のなんともいえない笑顔がありますけど、これに近い表情を僕は以前見たことがあって。このシーンの笑顔は、あのときの竹原が見せた笑顔でいきたいと思い、彼にお願いしたところもあります。谷村美月さんは以前から一度組みたかった女優さん。ただ、僕のこれまでの映画はあまり若い女の子が登場する作品がなくて(笑)。オファーできないでいたんですけど、今回はこのエピソードを選んだ時点で“これは谷村さんにお願いできる”と思って。ようやく念願が叶いましたね。

――それから音楽はヴェルナー・ヘルツォークや青山真治らの映画音楽を手がけ世界的な評価を得ているジム・オルークですね。

熊切:ジム・オルークの音楽はどこか郷愁を感じさせる。この映画の世界観にはぴったりと思ったんですね。ただ、とても忙しい人ですからたぶんダメかなと思いつつ、時間だけが過ぎ…。撮影に入っても、ラッシュが上がりはじめても音楽が決まらず。でも、僕の心は進めば進むほど、ラッシュを見れば観るほど、“ここにジム・オルークの音楽が入ってくれれば”という想いが強くなっていって(笑)。ダメもとでとりあえずお願いしてみたら、ラッシュを気に入ってくれたみたいでOK。要望は基本的には1点のみで“ジムさんの故郷を想いながら作ってください”と伝えました。いや本当に彼にお願いできてよかったです。

――次にストーリーについて聞きたいのですが、各逸話は決して明るくはない。さらに言えば、ほんとうに市井の人々の日常でドラマチックなことが起きるわけでもない。通常の映画ならば必ずある観客をひきつけておくような仕掛けも一切ない。地方都市で生きる人間の生身の姿と生の声を実感できるような世界を作れるかどうかにかかっていて。自身の体験や記憶に響くような強度のある映像と世界観が作れるかが勝負だった気がします。

熊切:そうですね。映画というかドラマをおもしろくするスパイスみたいなもの、そういう作為的なものはなるだけ排除して、本物だけで勝負する感覚がありました。下手な小細工も、ごまかしもきかない。正直なことを言うと、クランクインする前は不安で。怖くて逃げ出したくなりました。“果たして、自分にそういう映画を作りあげるほどの力があるのかな”って。ここで大きな力になったのがさっき少し話した函館に足繁く通った経験でした。ロケハンを重ねる中で、自分が素直に“ここで撮りたい”と思えたところを選んでいって。あとは、スタッフとキャストの力をかりて、そこを生きている場所になるように努力すれば成立するんじゃないかと最終的に思いました。

――そのお話を聞いて納得するのですが、例えば、函館山から眺める日の出のシーンがあります。ここは日の出からまだ人が動き出していない静かな朝の街の様子を映し出す場面で映像がほんとうにすばらしい。こういうシーンって観た人の目にインパクトを与える一方で、どこかで“どう、この光景すごいでしょう”っていうような作り手の自己満足みたいなものが垣間見える危険性もあると思うんですね。でも、『海炭市叙景』ではあきらかに狙い済ましたカットではあるんですがあくまで見え方は自然で。なんかあざとさがないんです。邪心がないというか。

  『海炭市叙景』
『海炭市叙景』
(C)2010佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会

熊切:今回はどのシーンも自分の中で妙に確信をもって撮れた気がするんですよ。これまではやっぱりどこかにスケベ心があって(笑)。“こういうシーンをこういう風な撮り方をしたやつはいないだろ”みたいな、狙う意識がすごくあった。でも、今回はいい意味で肩の力が抜けたというか。ある意味、無心になって挑めて。その場所に自分が立って、“こう撮りたいなぁ”と思った心に素直に従って撮っていった感じがあるんですね。もちろん現場ではスタッフとキャストと喧々諤々やって、その世界を作り上げていくのですが、変な迷いや気負いはまったくなかった。こういうスタイルで映画と向き合えたのは初めてでしたね。また、予算の都合もあってスタッフが近年では最少で。技術スタッフはほぼ『ノン子36歳(家事手伝い)』と同じメンバーだったのですが、自然と一致団結していい具合の高揚感をもって常にどのカットも挑めてよかったんですよ。もしかしたら、これぐらいのスタッフメンバーでフレキシブルにいろいろなことに対応して、1つの作品を作り上げていくのが僕の目指す映画作りに近いのかなと思いました。そういう意味で大きなものを得た現場になりましたね。


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「実はPFFに応募する気はまったくなかった」
――“映画監督・熊切和嘉”の軌跡をプレイバック


――ここからは少しこれまでのキャリアについて聞きたいと思います。まず、映画に興味をもったきっかけはなんだったのでしょう?

熊切:小学校3〜4年ぐらいのときだったと思うのですが、ジャッキー(・チェン)の全盛期で。TVでも毎週やっていたんじゃないかと思うぐらい、ジャッキー主演映画が放送されていて見ていました。それでまあ田舎の男の子ですから、当然のようにジャッキーごっこが友人と始まるわけです(笑)。そのうちシチュエーションやストーリーを勝手に自分たちで作っていろいろとやるようになった。そうこうするうちに、ハリウッド映画も観るようになって、漠然とですけど映画に対する憧れが出てきた。その頃、こっそり漫画を描いていたんですけど、実は漫画はあんまり読んでなくて、中身もロサンゼルスの刑事を主人公にしたものだったり……結局は映画を撮ってみたいんだと気づいて。それで中学2年ぐらいのとき、ビデオカメラがあれば映画が撮れるんじゃないかと思うようになって。親戚がビデオカメラをもっていたので、それを借りて、中学3年ぐらいから友人と遊びで作り始めた。その頃はジョン・ウーの映画に傾倒していましたね。

――出発点は香港映画ですね(笑)。で、大阪芸大に進むわけですが、これはなぜ? いまでこそ大阪芸大は知られていますけど、当時は映像学科があるのはそれほど知られていなかったですよね?

熊切:とにかく帯広の田舎町。ほかにあったかもしれないのですが近所の本屋には、映画雑誌はロードショーぐらいしかない。当時、僕はキネマ旬報があること自体知りませんでした(笑)。で、ロードショーに広告で日本映画学校と日本芸術大学の広告が入っていて、おぼろげにここに進めば映画が作れるのかと思っていたんです。そんな折、ほとんど謎の存在(笑)、大阪芸大というところにも映像学部があるぞという情報を友人が仕入れてきた。調べてみたら1年のときから16mmを回せると書いてあって。プラス当時、僕は阪本(順治)監督の『どつたるねん』や井筒(和幸)監督の『ガキ帝国』、島田紳助さんが撮った『風、スローダウン』とかにハマッてて、なんとなく大阪に住みたいと思っていたんですね。それでいいかなと思って推薦入試を受けたら、無事通ったのでいくことに決めました。

――進学したということはその時点で監督志望だったのでしょうか?

熊切:僕の感覚としては映画ごっこの延長で。その感覚は実はいまだにあるかもしれないのですが(笑)、とにかく自分で撮りたいという一心でしたね。映画の仕事の分業もよくわかっていなかったし、ただ自分はシナリオを書いて、映画を撮りたいとそれだけでしたね。ただ当時、すでに映画は監督で観るようにはなっていました。

――そこで卒業制作作品として発表した『鬼畜大宴会』がぴあフィルムフェスティバルで準グランプリに輝いて。いきなり脚光を浴びる形になりました。

  『海炭市叙景』
『海炭市叙景』
(C)2010佐藤泰志/『海炭市叙景』製作委員会

熊切:実はPFFに応募する気はまったくなかったんです。まったくPFFの作品を見ていなかったんですけど、伝え聞くところから、なんか淡くて繊細な作品やビターな青春を扱った映画が主流というイメージが勝手にあって。当時の自主映画にそういうイメージがあったとも思うんですけど。自分には縁遠いなと(笑)。あと、若いですから、そういうのに反骨精神を抱いて悪ぶりたい気持ちもちょっとあって、敵視していたところもあった。でも、友人が応募用紙をもってきてくれたんで、じゃあととりあえず応募したんですね。だから、僕としてはまったく場違いな感覚があったので、受賞は驚きました。まさか受賞すると思っていなかったから。それよりも、入選作品を観ると自分が思ったよりずっとみんな表現に対して本気の作品が多くて、勉強になりました。自分の認識が間違っていたことを痛感したことの方が受賞よりも印象に残っていたりしますね。『鬼畜大宴会』は、卒業展で親や先生に見せて“お前はなにをやっているんだ”と怒らせるのが狙いだったりして(笑)。同時に大学時代にできた中途半端な人間関係を一度リセットしたい気持ちで作ったところがあるんですね。たぶん、この映画を見て僕のことを本当にわかってくれる人はそのあともついてきてくれる。そうじゃない人はここで離れると思って。踏み絵だったんですね。で見事なぐらい、中途半端な付き合いだったヤツは本当にみんなサーっと引いていった(笑)。

――その後、『鬼畜大宴会』は海外映画祭も回って、さらには異例の劇場公開となり、これまた異例のロングランヒットとなった。いきなりこういう渦中に巻き込まれたと思うのですが、これはどう受け止めていましたか?

熊切:わりと冷静に見ていたところがありましたね。お客さんの“グロいよ”と口コミがうまいぐあいに広がって、噂が噂を呼んで劇場に多くの人が足を運んでくれたかなと思っていました。もちろんうれしかったですけど、我を忘れるほど大喜びもしていなかった。それよりも自分としては卒業制作である意味、ひとつの区切りがついた作品ですから、劇場公開時は早く次に取り掛かりたい気持ちの方が強かったですね。

――その後は『空の穴』『アンテナ』『青春★金属バット』『フリージア』など比較的コンスタントに作品を発表されていきます。この間、10年ぐらいになるのですが今振り返ってみて思うことはありますか?

  熊切和嘉監督

熊切:作品ごとに試行錯誤を続けていましたね。例えば『空の穴』は、『鬼畜大宴会』でようは暴力描写が話題になりましたから、それを封じてみようと思いました。でも、実を言うと『鬼畜大宴会』のとき、ある人の存在でフラストレーションがたまっていて、その鬱憤を思いっきり暴力という形で吐き出したところがあるんですね。いわばその人への怨念を観念で映画にしている。で、吐き出してしまったら、もうすっきりして殺しのアイデアなんてまったく出てこなくなった。そこで今度は観念ではなくてリアルをやろうとおもってやったのが『空の穴』で。よくまったく違うテイストの作品といわれるんですけど、実は出自は一緒で『鬼畜大宴会』と『空の穴』は合わせ鏡みたいなところがあるんです。『フリージア』なんかはやっぱりジョン・ウーが好きで、ドンパチ映画を1本自分も作りたいなぁと(笑)。まあ、いろいろありましたね。

――これは本当に失礼なんですけど、個人的に思うに、熊切監督の作品は前作『ノン子36歳(家事手伝い)』もすごく好きなんですけど、何かスパークしきれていない印象があって。勝手な期待で熊切監督ならもっとすごいことができたはずと思っていたんですね。そういう想いをずっと抱いてきたのですが、今回の『海炭市叙景』でついに何か殻がやぶけた感触を得たんです。ご自身は今回の作品をどう感じていられますか?

熊切:映画作りは毎回が試行錯誤の連続で、たぶんそれは今後も変わらないでしょう。でも、今回の経験で、自分の進むべき方向がひとつ見えた気がするんですね。僕にとって新たな起点になるかもしれない作品になった手ごたえがあるのは確かですね。

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  Profile: 熊切和嘉(くまきり・かずよし)

1974年、北海道帯広市出身。
大阪芸術大学の卒業制作『鬼畜大宴会』(97)が第20回ぴあフィルムフェスティバルにて準グランプリを受賞、劇場公開もされ大ヒットを記録。ベルリン国際映画祭パノラマ部門正式招待、伊タオルミナ国際映画祭グランプリに輝き、一躍注目を浴びる。PFFスカラシップ作品として撮られた第二作『空の穴』(01)では、ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門正式招待、ロッテルダム国際映画祭 では国際批評家連盟賞スペシャルメンションを授与される。以降も、『アンテナ』(04)、 『揮発性の女』(04)、『青春☆金属バット』(06)、『フリージア』(06)と、次々と作品を意欲的に発表し続け、国内外で注目を集める。『ノン子36歳(家事手伝い)』(08)は、「映画芸術」誌2008年度日本映画ベストワンに選出された。最新作『海炭市叙景』は第23回東京国際映画祭コンペディション部門に選出、11月27日より地元・函館シネマアイリスにて先行ロードショーに続いて、12月18日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー公開される。

『海炭市叙景』公式サイト
http://www.kaitanshi.com/
   

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