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阿武野勝彦インタビュー

優れたドキュメンタリーを製作するにとどまらず、それを劇場公開するというかつてない取り組みを始めた東海テレビ。『平成ジレンマ』ではプロデューサーを務め、『青空どろぼう』では共同監督を務めた東海テレビの阿武野勝彦(あぶの・かつひこ)氏に、今回の試みやTVドキュメンタリーの存在意義までを語っていただいた。

取材・文/水上賢治

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地方局発のTVドキュメンタリーが
映画館上映活動を起こした理由とは?


――正直なことを言うと、僕自身は今のTVドキュメンタリーはもう終わっていると感じていたんです。でも、『平成ジレンマ』を観たとき、“間違いだった”と思いまして。“いい作品を生み出しているTV局もある”と認識を改めました。そのあたりについてはおいおいお話を聞きたいと思います。まず、はじめにききたいのは、やはりTVドキュメンタリーを映画館で上映する、しかも、特集上映ではなくて、1作品をロードショー公開するという試みはかつてなかったことで。劇場公開しようと思ったきっかけと、『平成ジレンマ』公開までの経緯についておききしたいのですが?

 
阿武野:まあ、僕は東海テレビの報道畑の人間で(笑)。簡単に言うと、ドキュメンタリーの番組を作って放送するというサイクルの中にいて。そこでもう手一杯なんです。ですから、劇場公開なんて考えていませんでした。ところが、一昨年ぐらいでしたか、産経新聞社の記者の山根(聡)さんから“岩波書店から『シリーズ・日本のドキュメンタリー』という本が出ている。ついては感想を聞きたい”と連絡をいただいて、出たばかりの第一巻が送られてきました。軽く目を通すぐらいと思っていたんですけど、しばらくしたら山根さんが“感想を書評にしてくれないか”となって。きっちり読むことになりました。で、読んでみると、TVドキュメンタリーが軽んじられていると感じました。長くTVでドキュメンタリーを作っている人間としては、“冗談じゃないですよ”と叫びたい気持ちになったんです。

――“TVドキュメンタリーだって捨てたもんじゃないよ”という感じでしょうか?


阿武野:そうです。ドキュメンタリーは映画よりテレビの世界の方が、洗練されていると思っています。ただ、それをテレビ界だけで言っていても仕方ない。もっと多くの人に観てもらい、判断していただく。それを“実現可能にするのは?”と考えたとき、映画にして劇場で公開するということに至ったんです。TVドキュメンタリーを作っている私たちが、映画の世界に入っていってみようと。もう一つ、TVのドキュメンタリーは1回放送するか、よくて再放送があって2回ぐらい。しかも民放の場合は全国放送されることはほとんどありません。私のところで、年間3〜4本、作っているんですけど、残念ながら全国で見てもらう機会はないんです。ただ、東海テレビのエリア外の人から“うちのエリアでの放送はないんですか?”と問い合わせをいただくことが多く、“私たちの作品を観たいと思っている人が全国にいる”という手ごたえはあったのです。そこで劇場公開なら、そういう人のもとにも届くのではないかと思ったのです。TVで放送するだけではなくて、そういう場所を作ることも大事な気がして。それらが重なって映画館上映活動に動き出したという感じです。

――現在、映画館によっては数年先までスケジュールが実は決まっていたりします。そこを打破していくのは結構大変だったと思うのですが?

 
『平成ジレンマ』
(C)東海テレビ放送
阿武野:それは、ほんとうにラッキーだったとしかいいようがないんですけど、ドキュメンタリー映画を数多く手掛けられている安岡(卓治)さんのところにすっと話が通って、安岡さんが“やろう”と言ってくださったので、映画館の高い壁が“すっと”越えられたんだと思っています。映画館は劇場ごとに活動の理念があると思うし、興行という面からも作品選びは厳格だと思います。慎重になることもあると思いますが、私たちはその壁を安岡さんのおかげで越えることができたと思います。また、作品が『平成ジレンマ』だったからこそ、越えられたとも思います。というのも、映画の関係者のみなさんが作品をおもしろがってくれたんですよ。自分の予想を越える映画の世界の人の反響の大きさでした。名古屋シネマテークの平野支配人には“テレビなんて、と言ってきたけど、本当は、テレビを観てなかった。ごめん”と言われて(笑)。一作目の『平成ジレンマ』で空気が一変して、映画の人たちがすごく協力的に動いてくれました。ありがたかったですね。僕らとしては弾き飛ばされる覚悟をしていましたから(笑)。

――僕も名古屋シネマテークの方と同じで、『平成ジレンマ』を観たとき、“TVドキュメンタリーなんてっていっていたけど、ちゃんと見てなかった”という気分で猛烈に反省しました(笑)。では、TVドキュメンタリーを映画館で上映するという稀有な試みは比較的順調に進んだと。

阿武野:そうですね。ただ、当初、頭の中で思い描いていたのは、名古屋の劇場で上映を始めると、それが話題になってほかに飛び火していく形がとれたらいいなと思っていたんです。地方発信でいけたらと。ところが映画も、東京一極集中なんですよね。東京で宣伝を打って、東京で旗印になる映画館が立たないと地方に回っていかない。それには、宣伝費が必要。でも、もともとテレビ番組ですから、予算は全部使い切っているわけです。ですから、宣伝費なんてない。“さあ、どうしたものか”と(笑)。まあ、結局は会社に、ちょっと美味しい話をして(笑)、口説くんです。映画界の壁よりも、テレビ局という組織の壁を越える方が大変かもしれません。

――そういう経緯をもって、今年2月に『平成ジレンマ』は公開され、大きな反響を得ました。そこから間をおかずに第2弾として『青空どろぼう』が届いた印象なのですが、これは当初から考えていたことなのでしょうか?

阿武野:『平成ジレンマ』の1本だけで終わらせたくないと最初から思っていました。こういう試みを始めたからには、2本、3本と続けていかないと、公開していく意味が半減してしまいます。それと、少なくとも『平成ジレンマ』に続く作品を作る力があるし、東海テレビには、力のある番組をつくり続ける力があるという思いもありました。それで『平成ジレンマ』公開前から、『青空どろぼう』の劇場公開は視野に入れていました。というのも取材に入ってまとめていく段階で、“これは進化していくと全国に発信できるテーマに結びつくのではないか”と思いました。その時点で、劇場公開を意識したんですね。それで、『青空どろぼう』は、昨年11月にTVでオンエアーした51分バージョンと今回映画で上映する94分バージョンを同時に作ってしまったんです。とりあえず作ってしまえば、なんとかなるんじゃないかと思って(笑)。公開できるかどうかはわからないけど、少なくとも求められたとき、「第2弾があります」と用意しておきたかったんです。だから実を言うと、今は第3弾をどうしようか思案中です。

――この試みを続けてくという決意を持つということは、阿武野さんをはじめスタッフのみなさんの作品への取り組み方も変わってきているのではないですか?

阿武野:そうですね。“TVドキュメンタリーとして放送したら、それでおしまい”という今までの考え方は、私たちの中にはもうなくなってしまいましたね。それはTVマンとしてのジレンマから解き放たれたということかもしれません。TVドキュメンタリーとして取材しながら、“これは劇場版できるかも”という話が出ますから。今は観てくださる方がいる以上、より多くの場所で公開していきたいと思っています。


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TV局にしかできない
ドキュメンタリーの可能性


――ではここからは、『青空どろぼう』の話を聞いていきたいと思います。まず、この取材に入ったきっかけを教えてください。

 
『青空どろぼう』
(C)東海テレビ放送
阿武野:発端は東海テレビ開局50周年の記念番組として制作した『ドキュメンタリーの旅』という番組でした。これは結局14本の連作になったのですが、放送作家の石井彰さんに相談して、永六輔さんと吉岡忍さんに旅人をしていただきました。昔、東海テレビが制作したドキュメンタリー作品の場所や人の今を訪ね歩くという企画でした。その一本が、四日市公害にスポットを当てた1970年の『あやまち』という作品の旅でした。吉岡さんをお連れして四日市市磯津に取材に入りました。四日市公害裁判の元原告で元漁師の野田之一(のだ・ゆきかず)さんにお話をききました。そのとき、人伝に街の案内役として紹介されたのが、今回の『青空どろぼう』の主人公となる澤井余志郎さんでした。この時点で、私は澤井さんが何者なのか知らなくて、本当に失礼なんですけど“地元に詳しい近所のおじいさん”ぐらいにしか思っていなかったんです。だから、野田さんのご自宅につれていっていただいても、“ご案内ありがとうございました”みたいな感じで。それで吉岡さんの野田さんへのインタビューが始まったんです。野田さんはこう言ったんです。「いろんなんが来た。偉い学者先生も来たし、政治家も来た。しかし、みんなわしらを利用して最後は裏切りよった。ずっと変わらんのは、澤井さんだけや」と。とっさに中庭の片隅で控えていた澤井さんに目を移しました。すると、涙を流されている。これを見たとき、澤井さんと野田さんの関係がようやくわかったんですね。そこで調べてみると澤井さんは本当にすごい人だと判って行くんです。四日市公害の生き字引ともいうべき人物。四日市公害についての情報を公害文集、瓦版、会報として記録し発行し続け、40年以上も、ぜんそく患者たちを無償で支援する活動をしていらっしゃいました。いわば市井のジャーナリスト。これを知って、“この人が記録してきたものは残るけど、この人自身の記録は残らない。この時代にこんな人が生きていたと記録しなくてはいけない”という思いに駆られました。

――そこから綿密な取材に入っていった。

阿武野:ええ。ご本人はTVドキュメンタリー、まして映画になるとは思ってらっしゃらなかったみたいなんですけど、澤井さんの日常を撮らせてくださいとお願いして。2009年の秋ぐらいから長期に渡って取材させていただきました。ごく普通の方ですから取材を嫌がられてもしょうがないんですけど、人生のまとめの時期にきておられることもあって、執拗で迷惑な取材に、ほんとうによく協力してくださいました。その記録は40分テープで400本以上になりました。

――映画はその現在の映像と、東海テレビが過去に記録した四日市ぜんそくの裁判やインタビューなどの映像で構成されています。そこで驚かされるのは過去の映像です。よく現在の澤井さんと野田さんにリンクする映像を見つけてきたなと驚きました。

 
『青空どろぼう』
(C)東海テレビ放送
阿武野:そうなんです。これは編集の奥田(繁)君のおかげです。実は彼、澤井さんのドキュメンタリーを早く作ろうと、のんびり構えていた私をせっついてくれたんですけど(笑)。そして、膨大な過去の映像をもう隅までチェックして、その中で、デモの中にいる澤井さんの姿など見つけてくれて。先ほどいったように澤井さんは四日市ぜんそくの原告ではなく一市民。いわば裏方ですから、取材対象になっていませんので、映像が残っていなくて当たり前です。だから、過去の澤井さんの映像があるなんて思いもしなかったし、期待もしていなかった。でも、実際はあった。“こんな澤井さんの映像ありましたよ”と聞いて、澤井さんが若い頃の映像をみた時は、もう鳥肌が立ちましたね。これは編集マンの努力としっかりと四日市公害を記録し続けてきた東海テレビの先輩たちに感謝です。

――その過去の映像でもうひとつ思ったことがあります。TVドキュメンタリーの可能性ということです。今回の『青空どろぼう』は過去の映像と現在がリンクして、時の流れ、人と地域の歴史、さらに言えば日本の政治や社会の変貌までが一気にたどれてしまう。それは多くの問いを受け手に投げかけてくれる。ひじょうに豊かなドキュメンタリーだと思います。そして、実はこういう時系列のドキュメンタリーを作れるのは、自局に豊富なアーカイヴ映像のあるTVでしかできないかもしれないと思いました。

阿武野:そこにTVドキュメンタリーの真骨頂があるような気がしているんです。ドキュメンタリー映画を作っている映像作家の場合、その取材した映像の記録はその人一代限りで終わってしまう。その記録した映像を違う人がひきついで、新たな作品をつくることは難しい。でも、TV局の場合、取材して記録した映像はすべてシステマティックにストックされ、局の財産ですから、局の人間ならば使うのは自由です。つまり志のあるディレクターがその仕事と映像を繋ぎたいと思えば、何代にもわたってバトンが引き継ぐことができるんです。先輩たちがやってきた作業を、もう1度今に甦らせながら、新しい視点のメッセージを打ち出すことができるわけです。これこそ組織の意味であり、テレビドキュメンタリーの強みなのではないかと、3〜4年前に気がついたのです。昔の映像はほっとけば単なる資料なんです。でも、『青空どろぼう』しかり、『平成ジレンマ』しかりで、使い方によっては、お宝なんです。

――そうなんです。例えば個人の映像作家がドキュメンタリーを作ろうとして、過去の映像を使いたいとなったとき、自分の手元にはないとなると大抵の場合はまずそういう映像があるかないか何箇所も訪ね歩き、権利料を払ってようやく使えることになる。TVは自前にあれば自由に使えてしまう。

 
『罪と罰 ―娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父―』
(C)東海テレビ放送
阿武野:これはものすごいTVの利点だと思います。組織というのはいろいろと面倒で嫌なところもあるんですけど(笑)。過去の映像をひっぱりだして使うと先輩が“おいこの前の番組、オレが撮った映像、何箇所も使っているじゃねえか”ととても喜んでくれるんです。ただ、私も以前は過去の取材ソースを使って、違う作品を作るのには消極的だったんです。というのも先輩の取材現場は先輩のものという意識があって、そこを荒らしちゃいけないと思っていたし、自分が新たに出向いて荒らすのは失礼じゃかないかと。『約束〜日本一のダムが奪うもの〜』を作ったときがまさにそうでした。その現場には先輩ディレクターがずっと入っていて、その人の持ち物・テリトリーというような意識がありました。だからいまさら私が取材する必要があるのかなと思ってたわけです。でも、ダムの完成間近に、たまたま私が報道にいて、取材せざるえない。で、いよいよ村が水の底に沈むというのでノスタルジックな元住人のみなさんの顔を想像しながら現場に行ってみたら、とんでもない混乱でした。村人たちの集会で怒号が飛び交っている。私たちにもその怒りは向けられて“裏切り者”とかいわれる始末。なんなんだろうと思って取材してみると、先輩が取材し終えた20年前から現在に至るまで、とんでもないことが起きていた。私は何の問題もないと20年も放置してしまったことにショックを受けました。継続して見続けるということは重要だと思いました。それから先輩の現場だったなどということは、あまり気にしないようになりました。

――そう考えると、『青空どろぼう』は40年前の過去の先輩の仕事を受け継いで出来た作品といえるかもしれませんね。ちょっとお聞きしたいのですが、阿武野さんご自身は四日市ぜんそくをどう認識していたのですか? 僕などは教科書で習ったのが最後で、すでに過去のことと認識していました。ところがこの映画を観ると、まったく終わっていない。いやこういうことは終わりなどないことを痛感しました。

阿武野:私はおよそ10年、四日市市の隣の桑名市に住んでいて、そこから名古屋にある東海テレビに通っていたことがあります。でも、四日市公害はすでに終わっているイメージでした。行政が環境都市宣言みたいなことをして、克服したというPRを盛んにしていたこともあって、公害は過去のものと思っていました。取材に入った当初、野田さんや澤井さんの話を聞いていても、そのイメージは変わりませんでした。

――ところがそうじゃなかった。

阿武野:ええ。発端は共同監督の鈴木(祐司)君のひとことでした。もう編集作業も大詰め、番組放送の直前の去年の9月ぐらいだったですかね。彼が“けっこう未認定のぜんそく患者がいるみたいで”と言い出した。私は“なんであんなに通っていたのにちゃんと回ってその事実を確認しないんだ”と怒ったんですが、鈴木君も、これはやらなきゃいけないと磯津の家を一軒一軒回り始めたんです。それで公害健康被害補償法の改正で公害病患者の認定の打ち切りがもたらしたもの、置き去りにされた人々が浮かび上がってきたんです。そのとき思ったんですね、澤井さんにもできることとできないことがあるんだと。澤井さんは四日市の諸問題に距離を保ちながら記録を続けていましたが、やはり、人間ですから、そうとう足をつっこんでしまっているから磯津の人々の気持ちがわかりすぎるほど分かるんだと思うんです。だからこそ、地域の人々をかき回したり、このことをすると地域の中で利害が背反するかもしれないと踏み出せないこともあると思うんです。だから、公害患者と認定されていないけど、激しいぜんそくを発症している人がこんなにいるというようなデータを調べることができなかったんだと思うんです。ならば、私たちが調べようと、番組放送の土壇場で動いたんです。

――四日市市長でさえ、その事実を知りませんでしたよね。

阿武野:市民の健康と財産を守るのが行政のトップの役割。このことをどう認識しているのか、地元のメディアとして取材するのは当然です。今の市長は、まだなりたてですが、誠実な印象です。これからの公害についての施策に期待する意味でも、厳しく突っ込んだインタビューをしましたね。

――じゃあ、取材が一旦終わって完成間近と思ったら、鈴木監督のひとことでまた取材がスタートして。そしたらまたいろいろなことが見えてきて、一に戻って再び完成させた感じですね。でも、その取材が入ったことで、この映画はものすごい内容の幅が広がったと思います。

阿武野:ありがとうございます。私自身もこの仕事を通して、四日市ぜんそくは“終わっていない”ということに気づかされて。原点に立ち戻って、“国策・公共とは何なのか?”“何のためにこの公害が起きたのか?”をじっくりと見直す機会になりました。

――阿武野さんをはじめとするスタッフがそういうことを深く熟考したからこそ、この作品は私たちに多くのことを問いかけてくる内容になった気がします。僕は、この作品で四日市ぜんそくの一連の流れをみていて、現在、目の前でおきている福島の姿と重なってしまい…。もう再現フィルムを見ているようで、愕然としてしまいました。

阿武野:そうおっしゃる方はけっこういらっしゃいます。先ほど言ったように映画自体は東日本大震災の前にすでに完成していたんですけど、この作品は震災後、別の意味をもってしまったのかもしれません。時間が経てば立つほど、どんどん福島で起きていることにつながっていく。今後、福島で起きることは、『青空どろぼう』どころじゃなく『環境強盗』になってしまうのではないでしょうか。

――四日市も福島で今おきていることも構図はまったく一緒なんですよね。

阿武野: そうですね。この前、野田さんにお会いしてきたんですけど、福島のお話ばかりされるんですね。もともと漁師ですから、毎日海を見ながら、四日市と同じことが繰り返されるんじゃないかと危惧されているんだと思います。

――そういう意味で“いまこそ観てほしい映画”といいたい。ちょっとよくある宣伝ぽくてあまりこういうプロモーション的な言い方したくないんですけど。でも、ほんとうにひとりでも多くの人に観て、今を考えてほしいと思います。

阿武野:過去を克服できているか、歴史から学ぶことはほんとうに大事だと思います。

――ここまでいったように作品はいろいろと考えさせられるのですが、でもなにより被写体となったお二人の存在がすばらしい。澤井さんも野田さんもほんとうに魅力的な人物ですね。

阿武野:そうですね。野田さんは元漁師で、高学歴のエリートでありませんが、報道に携わる私がハッとさせられるような鋭くかつ重みのある言葉を繰り出されるんです。地を這ってきた生活者の声だと思います。それに“コンビナート企業で働いている社員を憎いと思ったことはない”とう姿勢。今でいえば東京電力の社員が憎いわけではないと、被害者でありながら、はっきりいっているような視座を持っているんです。凄い人です。

――一方の澤田さんは、ほんとうに顔だけ拝見していると優しそうなおじいちゃん(笑)。でも、その生き様はアウトローといってもいいぐらい。ロックな生き方のお手本のようで。もう自分の信念を貫いている。

阿武野:澤井さんも凄いですけど、ご家族もよく支えてきましたと感動します。澤井さんの背筋がピンと伸びた生き様にはこちらも姿勢を正されます。“こういう生き方があるんだ”と。澤井さんの活動には私自身もちょっと思うところがあります。メディアの人間は日々のニュースを追いかけることで悩むことがあります。“これがどう実を結ぶのかって”。継続して追うことにも疑問が沸く瞬間があります。それでつい目の前に展開する様々な事象にまぎれてしまう。そういうメディア人にとって、澤井さんの姿はすごく勇気を与えてくれると思います。そうして、市井のジャーナリストが、大手メディアよりもはるかにすごいことを成し遂げてしまうということです。


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「僕らのテーマとして1つあるのが
“わかりやすく作ろうとしない”こと」


――ここからはドキュメンタリー制作についてお聞きしたいと思います。まず、先に触れたのですが、TVドキュメンタリーに不信感を抱いていたのは作り手の主義主張ともいうべき顔が見えてこないことだったんです。この題材を扱ったなら、そこに対する作り手の意見があるはずなのにそれを消してしまう。クレームを恐れるあまりに、そういう部分を曖昧にぼかす。その一方で、いらない状況説明や情報については懇切丁寧すぎるぐらいテロップやらナレーションやらをつけまくる。虐げられた人々の本質に迫るのではなく、“こういう人たちがいます、かわいそうですよね”的な、なんでもかんでも同情的なところにおとしこんでいく手法が多く使われるのもどうかと思っていました。そこからは何も見い出せませんから。でも、東海テレビのドキュメンタリーは今上げたようなことがまったくなかった。作り手の叫びがきこえてくるし、被写体及び題材の本質に迫ろうと懸命に取材していることが感じられる。スタッフの中で何か作品を作る時に共通認識みたいなものはあるのでしょうか?

 
『裁判長のお弁当』
(C)東海テレビ放送
阿武野:私たちの一つのテーマとして“わかりやすく作ろうとしない”ということがあります。TVは、“わかりやすい”というのが価値の最上位にあります。でも、わかりやすいというのは、すぐ対象化されてしまいます。胸の中に滞留しないんです。一瞬で完結して終わってしまう、そして消費される。もっというと、心に何も残らなかったとも受け取れる。だから、観てすぐに、みんなが納得してしまうような作品にはしたくないと思うようになったんです。むしろ時間が経ってから、じわじわといろいろなことが頭によぎるような作品にしたい。同僚から“昨日、番組を見たよ、わかりやすかったよ”なんていわれると“ああ、失敗だったな”と思うんですよ。本当は、ほめてくれているんですが、そう思ってしまう。テレビの送り手と受け手の関係性に、オートマチックな分かりやすさが蔓延してしまったのかもしれません。それは良いことですか、と問いたいんです。だから、今のTVの常識から外れているのかもしれませんが、わかりやすさを価値の最上位にせず、伝えたいことを、伝えたいように作ることにしているんです。

――そうですか。でも、このわかりやすさは今となってはTVドキュメンタリーに限ったことではなくて、劇映画でも起こっていることです(笑)。

阿武野:何度も失敗してきて行き着いた答えでもあるんです。20代のとき、臓器移植に関するドキュメンタリーを作ったんですけど、ベタベタにナレーションつけて。局の人からはら“よくできている”といわれたんですけど、あとになって僕自身は“余白がまったくないな”と。自分の想いを次々に書きました。ナレーションが入って、終わる間とすぐインタビュー、それが終わるとまたすぐナレーションといった具合。観てくれている人たちへの作品の手渡し方としては、もう独りよがりもいいところでした。手渡し方を考えなくてはと反省したんですね。そこで考えて、ナレーションのコメントを短くする技を編み出しました。伝えたい言葉を絞る。それを実現するためには数行のことを2つの単語で言い表すような技を身に付けないといけないなと思いました。一生懸命に言葉を磨きました。コメントをどれだけ付け加えるかではなく、そぎ落とせるかを目指したんです。こういった具合で試行錯誤を繰り返して、ようやく今に至っている感じです。今でもいろいろなことで担当者と喧々諤々やりあいます。例えば音楽の入れ方とかでも、“5フレームあとから出して”とか担当者が“もういいかげんにしてください”というぐらいやります。

――そういう推敲作業は重要で。それがないとおもしろい作品はできないような気がします。

阿武野:そう思います。

――あと、現在開催中の「東海テレビドキュメンタリー特集」のラインナップ作品のクレジットを見て思ったのですが、ナレーションがすごい人を起用されてますよね。仲代達矢さんや寺島しのぶさん、今は亡き佐藤慶さんや岸田今日子さんなどなど。『青空どろぼう』は宮本信子さんで。特集では「宮本信子 ナレーションデラックス」と銘打たれて4作品が上映されています。ナレーターへのこだわりみたいなものはあるのでしょうか? 個人的にはナレーションは作品の出来を左右する重要な役割と思っています。

阿武野:人選に関していうと、私としては東海地区の人から選ぼうと思っています。理由はやはりその土地を理解している人が、その言葉で語るのが理に適っていると思うんです。たとえば宮本信子さんは愛知県とゆかりの深い人で、『青空どろぼう』まで6本お願いしました。それと、なるべく発信力のある方がいいと思っています。ドキュメンタリーのナレーションはお願いしたい俳優さんにお話が行く前の段階で、芸能プロダクションのマネジャーに素養のない人がついていたりすると、門前払いになることもあります。ですから、その壁を越えてご本人に届いたらなんとかして口説きたい。私は毎回、“ドキュメンタリーのナレーターは我々にとって、駅伝の最終ランナーです。我々の最終ランナーとして襷を受けてください”と手紙を出します。ナレーションはほんとうに重要ですから、必死です。その声ひとつで作品のカラーがまったく変る。また、こちらのイメージをはるかにこえたすばらしいナレーションになることもあります。ですから、いいナレーターにめぐり合えたときは喜びもひとしおです。

――ドキュメンタリーの題材選びでポイントみたいなものはありますか?

阿武野:あまりありません。ただ、同時代ということは意識しています。この時代を一緒に生きているみなさんに多様な見方を提供できるドキュメンタリーを作りたいとは思っています。ニュースや新聞記事で目にしたことがあるものを、違う視点から捉えてみると別の世界がみえてくる。これを大切にしたい。

――今のマスメディアは画一的になりがちですよね。

阿武野:同じ視点から物事を観ていては、つまらないと思うんです。本当は、みんなと同じことを書いたり伝えたりするために、この仕事に就いたんじゃないと思っているメディア人は多いと思います。それに、束になると危険でもありますよね。物事は単一的な視点で語りつくすことはできない。多様な視点があることを伝えるのがマスメディアの重要な役割だと思うんですね。ドキュメンタリー作品は長いスパンで取材を構築できますから、そこから見えてきた通常のニュースや情報とは違う視点を提供できると思うんです。そういうドキュメンタリーを作っていきたいと考えています。

――あと、僕は先ほど“TVドキュメンタリーなんて”って思っていたといいましたけど、そんなように思うTVドキュメンタリーを作っているのは東京の大手メディアで、実は地方局では優れた作品が生まれているのでは?と思っていたんです。というのも映画祭などに足を運ぶと、地方テレビ局製作のすばらしいドキュメンタリーによく出会う。だから、実は地方局にはすばらしいドキュメンタリーの作り手がいるのではないかと思えたんです。

阿武野:北海道から沖縄にまでドキュメンタリーの徒がいます。みんな足で稼いで取材を懸命にして作品を作っています。そういう皮膚感覚で体得しているものって、表現するときに明確に出ると思うんですよ。東京に関してはその現場の皮膚感覚が失われているのかもしれない。私たちは名古屋ですけど、大阪ぐらいでも現場に出るより、デスクワークの方が上位だと勘違いかしているかもしれません。

――東京はたぶん完全にそうですよね。

阿武野:そうなってくると、現場から最も遠ざかっている人が作品の最終的な判断や方向を決めてしまったりすることになるから困った事態になります。つまり取材の現場はあるんだけど、その最前線でやっている人の意見が反映されなくなる。プロデューサーとかデスクがわんさかいて、場合によってはまったく現場を知らない人の判断によって作品が出来てしまったりしているかもしれまらせんね。

――そうなるともいい作品は生まれない。

 
阿武野:地方局は現場感覚をしっかりもった人が作品を作っている。息遣いとでもいいましょうか。周りを見ても、地方のドキュメンタリーを作っている仲間はみんなその現場を見失っていない。地元に飛び込んで取材して得た重要な情報と、鍛えられた足をもっている。だから時代を越えていけるような作品が生まれるんだと思います。でも現実問題として状況はきびしくなる一方で。経営環境が悪化する中で、視聴率のとれないとされるドキュメンタリーは発表の場を失います。東海テレビは“ドキュメンタリーの東海テレビ”といわれてきた歴史があるので、予算をつぎ込んでくれますけど、地方局で、理解のない経営者の下では、ドキュメンタリー制作はとても苦しいです。休みの日に自前のカメラで、取材に行って、作っているなんて人もいますからね。

――でも今回の震災を見ていると、やはり地方局は重要で。結局、1番地元を助けたのは東京の大手メディアはなく、地元をしっかりと密着して把握している地方新聞であり、地方TV局、及び地方ラジオ局でした。地方局の役割はこれからもっと大きくなるような気がします。

阿武野:そうですね。ほんとうに地方には頑張っている作り手がいます。だから今回、東海テレビのドキュメンタリー特集が組んで、今、ポレポレ東中野で上映していますけど、いつか地方局の秀作を集めた特集上映をやれればなと思っているんです。系列の壁とかも超えて。今頑張っている地方のドキュメンタリーをフィールドにしたTVマンの渾身の作で、ぜひそういう特集をやりたいんです。

――それはぜひやってもらいたいです。地方のTVドキュメンタリーを目にする機会はほんとうになかなかありませんから。期待しています。

阿武野:今回の東海テレビの特集が好評だったら、そういう気運が自然と高まるはずなので(笑)。まずは『青空どろぼう』と『東海テレビドキュメンタリー特集』がなんとかいい結果を出してくれることを願っています。


 
  Profile: 阿武野勝彦(あぶの・かつひこ)

同志社大学文学部卒業後、81年に東海テレビ入社し、アナウンサーを経てドキュメンタリー制作に携わる。主なディレクター作品『ガウディへの旅』(90・日本民間放送連盟賞)、『はたらいてはたらいて〜小児科診療所と老人たち〜』(92・文化庁芸術作品賞)、『村と戦争』(95・放送文化基金 賞)、『約束〜日本一のダムが奪うもの〜』(07・地方の時代映像祭グランプリ)。プロデュース作品には、『とうちゃんはエジソン』(03・ギャラクシー大 賞)、『裁判長のお弁当』(08・同大賞)、『光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜』(08)など。個人賞に、放送人グランプリ(08)日本記者クラブ賞(09)。『平成ジレンマ』(11)で映画初プロデュースを飾り、プロデュースと共に共同監督を務めた『青空どろぼう』が劇場公開第2弾となる。

映画『青空どろぼう』
(制作・著作・配給:東海テレビ/2011年6月18日(土)よりポレポレ東中野ロードショー)
公式サイト:http://www.aozoradorobo.jp/


(C)東海テレビ放送


【Review】
『青空どろぼう』公開記念 東海テレビドキュメンタリー特集
反権力のポジション―キャメラマン 大津幸四郎
http://www.holic-mag.com/hogablog.php?blogid=11&itemid=2656


【取材後記】
東海テレビ ドキュメンタリーに思うこと

顔にはモザイクがかけられ、インタビューの声色は大幅に変えられる。それよりもなによりも、スポンサーへの配慮か、なんなのか知らないが社会や被写体となる人物に踏み込んでいけない生温い内容。近頃のTVドキュメンタリーをこんな風に悲観的に捉えている人は多いのではないだろうか? 近年、自分もそう不満を抱いていたひとり。ただ、1本のTVドキュメンタリーとの出会いが、その認識を改めさせてくれた。今年2月に劇場公開された東海テレビ製作の『平成ジレンマ』。この作品で受けた衝撃は“これ、テレビで本当に放送されたの?”と思うほど、びっくりした。これはTVドキュメンタリーに対する認識を改めねばと反省した。“すばらしいTVドキュメンタリーは今もある”と。その衝撃の熱がまだ冷めやらぬ中、早くも東海テレビが製作した劇場ドキュメンタリー第2弾『青空どろぼう』の公開が決定した。この作品、一見すると静謐で『平成ジレンマ』のような刺激はない。だが、作品から浮かび出る事実は今を生きる私たちに多くのことを突きつける。身に詰まるという意味では、『平成ジレンマ』よりも上かもしれない。同時に東海テレビのTVドキュメンタリーの底力も感じとれる。

   

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