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石井裕也インタビュー

日本映画界の今後を担う才能と大きな注目が集まる石井裕也監督。その作品を見ると、若くして日本映画であり日本映画界と常に格闘してきたように思える。本人は否定するかもしれないが、彼の作品にはなにかしらの変化であり、何かしら新風を巻き起こそうとする気概が感じられる。新たに届けられた最新作『あぜ道のダンディ』もまた同じ映画との格闘の爪痕は残されている。現在27歳の彼が目指す映画作りについて訊く。

取材・文/水上賢治

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今の時代を映す、捉えることの大切さを認識しつつも、
新しい時代や一歩先のことを描きたい


――今回の『あぜ道のダンディ』を見たとき、“そういうことだったのか”と思ったんです。というのも少し前に石井監督には、「男の映画」というアンケート企画にご協力いただいて、男優と作品がマッチングした名作を5本挙げていただいた。その中で、『男はつらいよ』の渥美清さんや、『スケアクロウ』のアル・パチーノ、『レイジング・ブル』のロバート・デニーロなどを挙げていて。文章では「“イケメン”なる造語が映画の俳優であり、世の中の男の判断基準になっていることに異議あり!」(笑)というようなことを書かれていた。そこに対するひとつの答えが『あぜ道のダンディ』にはあると思ったんです。

石井:そのアンケート企画のお話をいただいたとき、ちょうど『あぜ道のダンディ』を撮り終えたぐらいで。僕の中でも“男の映画”であり“男の価値”みたいな部分をすごく考えて気分の高揚している時期でした。

――ただ、振り返ってみると『反逆次郎の恋』のあと、『ガール・スパークス』『ばけもの模様』『川の底からこんにちは』『君と歩こう』と女性を主人公にした映画が続いていました。これは何か理由があったのでしょうか?

 
『あぜ道のダンディ』
(C)2011『あぜ道のダンディ』製作委員会
石井:『剥き出しにっぽん』のあと、続けて男性を主人公にした『反逆次郎の恋』を作りました。この作品は、自分としてはかなり手ごたえがあったんです。でも、自分の予想に反してすこぶる低評価で(笑)。そのとき、ちょっと僕の作品と、観てくれる人が大きく乖離しているというか。すごく溝を感じたんですね。で、ちょっと考えたとき、自分でも主観に寄り過ぎていて、僕のひとりよがりに近い男の内向的な部分を描いた作品になってきているなと思いました。このままじゃ映画の世界や視野もどんどん狭まってしまう。そこで、僕の主観を出すのではなく、ひとつ客観的な視野をもちながら映画を1本作ってみようと思って。男じゃなく、自分がよくわからない異性の女性で1回やってみようと思い立った。それでできたのが『ガール・スパークス』。僕なりの感じ方でしかない女子高生が主人公の映画だったんですけど、これが意外と僕の予想よりは好評で(笑)。お客さんの間口が広がり、それこそごくごく普通の方もけっこう劇場に足を運んでくれたんです。だから客観性をもって作品に挑むことで新たな道が開けたところがあった。また、よくわからない人を描くことのおもしろさにも気づいて。わからないからこそ、自分の想像力でいろいろなことを補填して人物像を作り上げていく。その楽しさに目覚めて女性を主人公にした作品が続いていったところがあります。

――その中で今回、石井監督の基本ともいうべき男性を主人公にした映画に戻ったのでしょう?

 
石井:『川の底からこんにちは』の次に『あぜ道のダンディ』の撮影に入ったんですけど、実は1年半ぐらい間が空いているんです。『川の…』のあと、落ち着いて物事を考える時間が少しあったんですね。そのとき、“次は自分が本当に大切だと思えるものだけを集めた、ものすごくシンプルな映画を作りたい”と漠然となんですけど思いました。そしたら自然と、やっぱり男性を描きたいとの思いに至って。最終的には、男の美意識がテーマの根底にあるので、同世代を描いても良かったんですけど、客観性もどこか捨てきれなくて(笑)、自分とはちょっと世代の違う50代のおじさんが主人公になりました。

――個人的な感想を言わせてもらうと、“久々に男の痩せ我慢映画を観たな”と。主人公の宮田は50歳の運送業勤務。妻に先立たれて子供2人を男手ひとつで育ててきたものの、大学入学の難しい年頃を迎えた子供とうまくコミュニケーションがとれない。一方的に末期ガンと思い込んで内心は波風たちまくりなんだけど、精一杯強がって弱みと涙はみせない。こういう男の主人公ってひと昔前までは映画のメインフィールドによくいたなと。滅びの美学というか、敗北の美学というか。『男はつらいよ』の寅さんはまさにそうだし。東映のヤクザ映画や、西部劇に出てくるアウトローも基本的には同じ。敗北してもなお男を気取っているとでもいうか。とにかく男の生き様が存在する映画。そういう映画がいまはほとんどない。ダメな男の映画はいっぱいあるけど、みんな完全に敗北してそこに男の生き様はない。そういう役を演じてハマる男臭いアクの強い俳優も少なくなってしまっている気もする。だから、作りづらい状況もあるような気がしました。でも、『あぜ道のダンディ』を見たとき、“やりようによってはまだ成立する”と思ったんですね。今の映画の風潮みたいなところで思うところはあったのでしょうか?

 
『あぜ道のダンディ』
(C)2011『あぜ道のダンディ』製作委員会
石井:確かに、そういう滅びの美学というか、男の生き様を描いた映画が少ないことは、なんとなく感じていました。ただ、僕には“こういう映画がないからこういうのを作ろう”といった考えや発想は一切ない。この脚本が生まれたきっかけは、やはり今のイケメン至上主義的な世の中への僕なりの提言で。男のかっこよさを測る尺度がイケメンかイケメンじゃないかになっちゃっている状況ってものすごく虚しいと思うんです。そんな中で、ちょうど僕は30代にそろそろ手の届くところまできて、今後男としてどう生きていくか考える時期を迎え、“男とは何ぞや”、“いい男とは何ぞや”をテーマに脚本を書いていきました。だから、主人公の宮田淳一は、僕の中にある男の理想像で。宮田のような男と生き方に僕はすごく憧れを抱いています。

――宮田という主人公は実に同時代性をもっている気がして。たぶんこういう境遇にいるおじさんはいっぱいいる気がするんですね。考えてみると、石井監督の作品には飛躍してはいるのだけれど、実に時代にマッチした人物や設定がしっかりと毎回溶け込んでいると思います。時代や社会状況に敏感に反応して、それを映画に意識的に反映されている感覚はあるのでしょうか?

石井:人間って普通に生きていれば、その時代から当然影響を受けて、そこで自己が形成されているはずで。自分の中に多かれ少なかれ投影されていると思うんですね。ですから、映画を作るとき、時代性が軸足になるのは確かです。ただ、その時代をそのまま描くことはつまらないという思いが自分にはあります。作品では、今の時代を映す、捉えることの大切さを認識しつつも、新しい時代や一歩先のことを描きたい。新しい時代を作ることの一端を、今を生きる人間は確実に担っているわけで。その自負は自分の中にも常にあります。だから、この時代を軸足にしつつも、一歩先を見据えたことを描けたらと思っています。

――また、これも時代という話になってしまうのですが、今の日本映画界はオリジナルの脚本で勝負するのがきびしい。小説や漫画の映画化が主流です。その中で、石井監督はオリジナル脚本でずっときていますが?

石井:オリジナル映画が原作ものより勝っているとかいう考えは一切ありません。自分が作品を作るとき、原作ものでもいいと思うし、オリジナルでもいいと結構フラットに考えています。ただ、映画作りというかモノ作りの基本だと思うんですけど、人から“今、一番何を面白いと思っているか”と聞かれたとき、その答えが自分の中から出てきてほしいとは思っているんですよね。

――自分がやりたいと思うことがないようでは、モノ作りを生業とする人間としては終わりですよね。

石井:そうだと思うんです。“何が面白い?”と質問を投げかけられて、あの漫画ですとか、あの小説ですとか言うことって、一般の人でもできることだと思うんです。だから、常に自分の中に自分の心の中から生まれた“これなんです”という答えをもっておきたい。僕独自の世界観に新しい窓を作って新しい風を吹き込む力が何かの原作にあるのであれば、そちらを選べばいいだけの話だと思っています。オリジナルに固執するあまり、すごく閉じられた世界観になるよりはそっちの方がいい。でも、やはり出発点は自分の中から湧き出たものでありたいです。


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人生の可笑しさと悲しさ
その2つだけで映画を作る


――もうひとつ石井監督の作品を観ていて思うのは、“飛躍”です。映画の一瞬、一瞬でアクションが起きるというか。ストーリーも、登場人物も少しずつ“躍動”していって最後にスパークしていく感覚がある。作りはシンプルでドラマチックな仕掛けもほとんどない。でも、その躍動の積み重ねだけでおもしろくみることができる。ストーリーや構成でなにかいつも考えることはあるのでしょうか?

石井:人生には可笑しさと悲しさがあって。極端なことを言うと、その2つだけあれば映画って作れるんですよね。逆に言うと、その2つだけで映画を作るべきという思いもあって。というのも過去の経験から言うことなんですけど、例えばストーリーにいろいろな枝葉を付け加えていくと、ほんとうに大切な部分がおろそかになってしまうケースがほとんどで。だから余計なものはいらないなと。今回の『あぜ道…』なんかはまさに、その2つの要素だけで作ったと言っていいかもしれません。

――キャスティングについてなのですが、基本的にプロデューサーにお任せするということですが、これは“役者なら誰でもいい”というわけではないですよね?

石井:それすごく勘違いされるんですけど、“役者なら誰でも”というのは間違いです。今回だったら光石さんをはじめ、出演してくださったみなさんに本当に失礼じゃないですか(笑)。プロデューサーを信頼していますし、それで選んでもらった役者さんとの縁を大切にしたいんですよね。今回なら光石さんと偶然出会って、一からスタートして、ともに作品を作っていく。その方が映画になにか予想もしないことが起きる気がするんです。で、過去の経験から言うと、実際そうなっていて。映画が出来上がったときは、今回だったら光石さん以外に考えられなかったなと心の底から思えるんです。

――よく言いますけど作品に映画の神様が降りたみたいな。

石井:そういうことなんです。なんかそのあえてイメージしないことで生まれる可能性を大切にしたいという気持ちがあるんです。

――でも、役者さんにはけっこう細かく演出をつけると聞きます

 
石井:そうなんですよね(笑)。A型なんでセリフの「間」とか立ち上がるタイミングとか、とにかくあらゆることがすごく気になっちゃう。気になったままOKを出すのはすごく失礼なので、とことん修正して。これがベストというところまでいって初めてOKを出すんですけど。じゃなきゃ、当たり前ですけど僕が責任とれないんです。“あの俳優さん駄目だったよね”って思われてしまうの、最悪だと思うんですよね。やっぱりそこは監督の力量だと僕は思っていて。自己満足になるんですけど、“全部オレのせいなんで”と言いたいがために、細かく言わせてもらっています。

――石井監督の作品はそのテンポや間が生命線のところありますから、そこはひけませんよね。

石井:ただ、全シーン、細かく言えばいいと思っているわけではないんですね。例えば今回の『あぜ道…』だったらラストシーンとか、ゲームセンターのシーンとかは、僕があれこれ細かくリズムとかテンポを指示するより、そのときの勢いでいった方がいいケースもあります。だから、そういう場合は“リミッター外してドーンといってください”みたいな大雑把なときもあるんです。

――でも、あのダンスのシーンは4人ぴったりと振り付けがあっていて(笑)。“ああ、石井監督ならではだな”と思いました。

石井:あれはいろいろと考えたんです。最後は2人だけ、違う動きをするとか。でも、親子なんで全員一緒の動きがいいなと思って、ああいう形になって。練習は1日であとは自主練習で本番だったんですけど、みなさん見事揃えてくれましたね。

――では最後に以前、あるイベントで笑いに対する考えをおっしゃっていたことがあって。石井作品にとって笑いは重要な要素であると思うのですが、笑いに対する何か思いみたいなものはあるのでしょうか?

 
『あぜ道のダンディ』
(C)2011『あぜ道のダンディ』製作委員会
石井:はっきり言うと、僕は喜劇映画を作りたいんですね。でもこれ支離滅裂なこと言っちゃうんですけど、そう言いつつ作品を見たときに観客のみなさんにただ笑ってほしくないという気持ちがどこかにあって…。少し説明をすると実は『川の底からこんにちは』を撮ったとき、一番影響を受けたのは、ベルクソンという哲学者の『笑い』という哲学書なんです。その中でベルクソンは笑いが起こるときというのは、常に人間的であるときだと言っていて。人間味がないところには笑いがない。人間であるからこそ笑いが起こるんだというようなことが書いてあったんです。それはちょっと目から鱗で。それまで僕はどこか笑いというものを無自覚的に使っていた。“笑わしちゃおう”みたいな感じの軽いノリで使って、演出のひとつにしていたんです。でも、この言葉を目にしたとき、僕は人間を描くのと笑いを作るというのは同じように思えて、すごく反省したんです。だから、実は『川の底…』、今回の『あぜ道のダンディ』と笑いを飛び道具としては使っていない。例えば、ダンスのシーンも多くの人が微笑む場面だと思うんですけど、僕はちょっと悲しいシーンにもしているつもりです。

――よくよく考えてみると、このダンスシーンはお父さんのひとつの願望で。そう考えるとちょっと胸にジンときますよね。

石井:そうなんです。可笑しさと悲しみが同居しているというか。可笑しさと悲しみが表裏一体で成り立っていて、観客の心をポジティヴに突き動かすことこそがほんとうの笑いではないかと思って。だから、喜劇を作りつつ、腹を抱えて笑ってほしくないというか。『あぜ道…』をコメディ映画と言われるのもちょっと複雑で。なんかコメディというと今は軽いものに思われちゃう。笑いってすごく深い。でも、今の笑いってすごく軽い存在で。

――TV番組はバラエティ全盛で。なんかを槍玉にあげ、雛壇にいる芸人たちがやんや突っ込んで、そこで笑わせる。そういうのがたぶん一般的な今の笑いの主流になっていますよね。そう考えると、石井監督が今回の『あぜ道…』や『川の底…』でやっていることや、これまでの悲喜劇の名作と呼ばれる作品の笑いはまったく別ものと思えます。

石井:今の時代の笑いっていうのは、いわゆるテレビのバラエティ番組を指すと思うんです。だからコメディという言葉を安直に使うとひどい誤解を招きかねない。

――今、もしかしたら世の中的には、コメディ映画と聞いたとき、バラエティ番組の延長のような笑いを期待されるようになってしまっているかもしれなくて。それを期待されても困るということですよね。

 
石井:ええ。僕は人間味であり人間臭さというか、虚飾がはがれたときの人間のおもしろさや哀しさを題材に映画を作ってきました。その中で、今、僕の言う笑いは人間性を描くための手段として使っている感覚があるんです。先ほど言ったようにひとつの笑いに可笑しさと悲しみが同居しているような。それが僕の目指す喜劇であり、コメディなんです。これがなかなか難しくて。結構笑いについて今悩んでいるんですよね(笑)。



 
  Profile: 石井裕也(いしいゆうや)

1983年生まれ 埼玉県浦和市出身。大阪芸術大学の卒業制作として『剥き出しにっぽん』を監督。本作が第29回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2007」グランプリ&音楽賞(TOKYO FM賞)を受賞。続けて監督した長編映画『反逆次郎の恋』、『ガール・スパークス』、『ばけもの模様』と共に第37回ロッテルダム国際映画祭、第32回香港国際映画祭で特集上映される。2008年アジア・フィルム・アワードで第1回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞を受賞。2010年長編映画『君と歩こう』(第39回ロッテルダム国際映画祭正式出品・第22回東京国際映画祭正式出品・第24回高崎映画祭正式出品、ほか)と第19回PFFスカラシップ作品『川の底からこんにちは』(第60回ベルリン国際映画祭正式出品、第34回香港国際映画祭正式出品、モントリオールファンタジア映画祭2010/最優秀作品賞・最優秀女優賞、第32回ヨコハマ映画祭/新人監督賞・主演女優賞、第53回ブルーリボン賞/歴代最年少で監督賞を受賞、ほか)を立て続けに発表し商業映画デビューを果たす。

映画『あぜ道のダンディ』
(配給:ビターズ・エンド/2011年6月18日(土) テアトル新宿ほか、全国順次ロードショー)
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/azemichi/

(C)2011『あぜ道のダンディ』製作委員会
   

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