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想田和弘インタビュー

デビュー作となる『選挙』、次いで発表した『精神』が日本はもちろんのこと世界的にも高い評価を受けた、想田和弘監督。今最も注目される日本人ドキュメンタリー映画作家である彼は、自らの作品を“観察映画”と定義づけ発表してきた。その中で、今回届けられた第3作の最新作『Peace ピース』は、新たな地平に立った1作といっていい。本人も“観察映画・番外編”と位置づける。その真意とは何か?昨年の東京フィルメックスで観客賞に輝き、その後も香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭でブイエン&シャゴール賞受賞と世界で反響を呼ぶ映画『Peace』。その全貌を訊く。

取材・文/水上賢治

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今までの“観察映画”とは違うアプローチで始まった作品
最初はこの企画を断ろうと思っていました(笑)


――今回の『Peace』は、もともと韓国・非武装地帯ドキュメンタリー映画祭から“平和と共存”とのお題で短編を撮ってほしいとのオファーから始まったと聞いています。まず、この“平和と共存”というテーマについて聞きたいのですが、正直、嫌ではなかったんでしょうか(笑)?こういう題材は特にドキュメンタリーだと、一歩間違えば正義感を振りかざすような一方通行の作品になってしまう。たぶん、想田監督はそういう風にはならないよう作品を作ってきているように思えるので、できれば避けたかったのではないですか?

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:おっしゃる通りで(笑)。最初にこのオファーが来たときは、断ろうと思っていました。“平和と共存”がテーマの作品なんて、お説教映画になる可能性大。それこそ学校の道徳の授業とかで無理矢理見せられるような(笑)。ドキュメンタリーの「地味」とか「お勉強」とか「暗い」といった悪いイメージは、ああいう映画のせいで生じているような気がしているんですけど、それを自分が作ってしまっては元も子もない。ですからすごく警戒したし、ほんとうにどこかのタイミングで断りを入れようと思っていました。

――以前、少しお話ししましたけど、想田監督は社員教育のビデオなども作られていて、プロパガンダ映画のノウハウを理解している。それを避けるべく、自分の作品では台本も事前のリサーチもしない、ナレーションも音楽も一切使わない。これを自ら“観察映画”と名付け、実践し続けています。だから、このまず最初にお題があること自体からしてやっかいだったろうと思って(笑)。

想田:観察映画の場合、最初にテーマは設定しないし、台本も作らない。テーマは後から発見するものと常々いっている。まずテーマありきでスタートするのは、この方法論にも反することだから、ほんとうに乗り気じゃなかったんですよ。

――では、どうやって作品に結びついていったのでしょう?

想田:これは「ネコたちと出逢っちゃったから」としかいいようがないんですね。しかも、それが「平和と共存を考えるには結構うってつけではないか?」と後から気づくことになったから良かったんだと思うんですね。もし「平和と共存を描くために適当な題材はないか」と探す過程でネコに出会っていたら、たぶんこういう作品は出来なかった。猫と出会って、興味をもってカメラを回すうちに「あれ?このままネコたちを撮っていけば、平和と共存についての映画になるのでは?」と気づいた。この順序だったから撮れたんだと思います。

――その重要なネコとの出会いは、義理のお父さんがきっかけとなります。そもそもお父さんをカメラに収めようとなぜ思ったんですか? 気恥ずかしさとかあって、なかなか義理のお父さんとか撮るきっかけはないと思うのですが?

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:実は2009年の秋、妻の母方の祖母が危篤になり、その最期の日々を映画に撮りたいと思って、カメラ機材一式を持って妻の実家に帰省したんです。でも、親戚の反対にあってそのプロジェクトは結局ダメになってしまって。僕は傷心で腑抜けの状態で妻の実家でボーっとしていた。
 そんなときたまたま、義父が野良ネコたちに餌をやっている姿を見て。これがなんとも言えず、ボロボロになっていた僕の心に沁みたわけです(笑)。で、せっかく機材もあることだしと、作品にするつもりもなくカメラを回していたら、いきなり泥棒ネコが現れてエサをさっと盗んで逃げた。しかも父いわく、「この泥棒ネコの出現で、野良ネコ共同体の平和が乱されつつある」と。後に映画の冒頭を飾ることになるシーンですね(笑)。その瞬間、「あれ?これって韓国の映画祭の企画にぴったりだな」と思ったんですね。

――そこから、どうなるかわからないけど、とりあえずカメラを回していこうと。

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:ええ。「これはおもしろいかも」と思って。何より僕自身がすごく興味が沸いて、まるで韓国と北朝鮮のようなこの緊張関係をネコたちがどうやって解決するのか、あるいは解決できないのか、見届けたかった。“平和と共存”は難しいテーマといいましたけど、その要因は先に述べたこと以外にもあったんですよ。要するに、テーマと自分との接点をなかなか見い出せなかったんですね。
 というのも、最初に“平和と共存”という題を前にしたとき、僕の頭の中にすぐに浮かんだのは、やはりイラクとかパレスチナとかアフガニスタンのことだった。ただ、僕はそういった紛争地域に1度も行ったことはないし、行きたいと思ったこともない。だから僕には“平和と共存”がテーマの作品なんて絶対に無理だと思ったんですね。
 ところが、この「泥棒ネコ問題」を目の当たりにしたとき、争いごとは何もどこか遠くの戦場だけではなくて、僕らの身の回りにもあるのではないかと思えて。で、実は「男女」や「家族」や「友人」や「隣人」の間で毎日のように起きている身近な争いの中にこそ、戦争を含めたあらゆる紛争の根本的な原因や共存の在り方を示すヒントが隠されているのではないかと思った。これだったら自分の身の丈にあっているし、どうにか撮ることができるかもしれないと思ったんです。

――映画はネコから始まり、障害者や高齢者を乗せる福祉車両の運転手を務めるお義父さんの柏木寿夫さん、高齢者や障害者の自宅にヘルパーを派遣するNPOを運営しているお義母さんの柏木廣子さん、その廣子さんが週に1度ケアしている91歳の橋本至郎さんらを追っていって。これが最終的に先のテーマに不思議とつながっていく。撮影している間は、このことに気づいていたのでしょうか?

想田:いや、撮影中はどうつながるのか分からなかったです。ネコのコミュニティでの騒動を観て「これは」と思い、そこから義父や義母、橋本さんなどの日常にカメラの射程が広がっていったわけですが、編集するまでは果たしてそれらが1本の作品にまとめ得るものなのかは、全く確信が持てなかった。ただ、前々から柏木の両親には興味があったので、この機会に撮ってみたいと思ったんです。

――ご両親に興味があったというのは、やはりお仕事の内容も含めてですか?

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:そうですね。そもそも『精神』の舞台となった精神科診療所「こらーる岡山」と僕をつなげてくれたのは、柏木の母で。映画の公開時、患者さんが不安になって「どうしよう」という状況になったときも、真っ先に患者さんと僕の間に立って仲介役を果たしてくれたのも義母でした。ほんとうに撮影時から公開後に至るまで、すごく助けてくれたんですよ。彼女の存在無しには『精神』はできなかったんですね。義父も同様で、『精神』の撮影時には、『Peace』で登場した福祉車両「喫茶去号」を大胆不敵にもロケバスとして使っていて(笑)。義父に運転や送り迎えをお願いしていたんですね。そういうプロセスを通じて、僕は両親の仕事ぶりを垣間みていた。それで、頭の片隅で“ふたりの仕事を撮ってみたいな”とは思っていたんです。

――それでご両親を追い始めたら、今度はその延長で橋本さんなどと出会っていった。

想田:そうなんです。だから途中までは、撮影している内容が“平和と共存”というテーマにつながっているかどうか、とても漠然としていて。ただ、カメラを回しながら、例えば義父と利用者の関係性、義母と橋本さんの関係性なんかをみていると、おぼろげながら“平和”や“共存”とつながりそうに思える瞬間に出くわす。でも、確信をもてるほどではなかった。
 「これは1本の筋が通るかもしれない」と直感できたのは、撮影期間の終盤で「強いネコが弱いネコに餌場を譲るために、ある日突然消えていく」という義父の言葉を聞いたとき。あの車中での語りを撮影しているとき、それまで撮っていた様々な場面をつなぐ1本の縦糸のようなものが見えた気がして。「これは作品になるかもしれない」と思いました。


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自分で撮ったというよりも、
何かに撮らされたような特別な1本


――そうして出来上がったわけですが、僕は最初見た時、ひじょうに衝撃を受けて。ちょっと奇跡的な成り立ち方をしている作品だなと驚きました。あくまで個人的な意見なのですが、劇映画でいえば小津安二郎作品や成瀬巳喜男作品のような作品で、日常の積み重ねだけでしっかりとした強度のある映画になっている。で、こういうようなことをドキュメンタリー映画でやるのは難しいのではないかと思っていたんです。やはり扱う題材や放つメッセージがどこか辛辣で過激さを求められるのがドキュメンタリーで。それゆえ映像も衝撃度が高くなるほどいいとなる。でも、今回の『Peace』はそうでなくても強度のあるドキュメンタリーは可能ということを実証していて。想田監督は新たな地平に立った気がしました。

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:僕もこの作品が出来たとき、「実はこういうことを観察映画でやりたかったんだな」と思いました。要するに、ドキュメンタリーにとって大事なのはネタじゃないし、特別なことに目を向けるからドキュメンタリーが成立するわけではない、ということなんですけど。実は以前から、そのことには薄々気づいていて、どんな日常的な事象にカメラを向けても、撮り方次第で優れたドキュメンタリーは生まれ得るんじゃないかと、ずっと思っていました。
 というのも、ちょっとした反発心がありまして。TVのドキュメンタリー番組を撮っていた時代に、「こんなネタじゃ弱すぎる」とかさんざん言われてたんですね(笑)。自分では「十分面白い番組になる企画だ」と思って提案しても、よくプロデューサーから「ネタが地味」とひと言で片付けられてボツという経験をしてきた。たぶん、それはドキュメンタリーだけじゃなくて、劇映画の世界でも言われていると思うのだけれど、見た目がハデかどうかといった外面的なところでしか物事が判断されない。それにどうにも納得できなくて。どんなに普通の市井の人にも、ほかの人にはない人生があり、ドラマがあるわけじゃないですか。だから、それをきちんと描けさえすれば、どんな人が被写体でも映画になるはずだと信じていたんですよ。今回、ようやくそういうことができた感触がありますね。
 まあ、はじめから自分で意図したのではなく、成り行きでそうなっちゃったのがたぶんよかったのかな。「ああしてやろう」とか「こうしてやろう」とか、製作過程の中でどうしてもあれこれと自分の欲望が出てきがちですけど、今回はそれがほとんどなかった。いつもはものすごく重いものを全身の筋肉を使って動かすような感覚で作品づくりに挑んで、ようやく映画が出来る。でも今回はいい意味で肩の力が抜けて、自然体で「一筆書き」のように、すらすらすらと出来てしまった。自分が撮ったというよりも、何かに撮らされたというか。「GIFT=贈り物」をいただいたような感覚があります。特別な1本になりましたね。

――そういうこともあって想田監督も“観察映画・番外編”としたのかなとも思ったりして。たぶん『Peace』のようなドキュメンタリーを作りたいと思っているドキュメンタリストはけっこういると思います。

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:繰り返すようですが、今回、半ば偶然に泥棒猫登場の場面が撮れてしまって、しかも自分が以前からやろうとしていたプロジェクトではなく、映画祭から振られた企画に当てはめる形でスタートしたので、自然に作り手としての自我が抑えられ、結果的にこういう形になったところが多分にあると思います。どうしても作り手としてはあらゆることをコントロールしたくなりますから、こういう心境で挑むのはなかなか難しいですよ。
 ドキュメンタリーは偶然の出来事の連なりを捉える芸術だともいえます。だから、偶然性をどう作品に呼び込み、取り入れるかがすごく重要です。でも、この偶然性というのは曲者で、作品が偶然面白くなることもあれば、つまらなくなることもある。当たり前ですね、偶然だから(笑)。ましてやそういう場面に居合わせてカメラを回せることはかなり奇跡的で。だから、作り手としては失敗を恐れて余計な力が入ってしまう。

――でも、今回に限ってはそういう作家ならば誰もがもってしまう野心が自然と出なかった。その結果、いままでにない作品に仕上がった。

想田:ええ。だから今回の制作過程を記述するだけで、ドキュメンタリー論、もしくは観察映画論になるなあと、今年の2月ごろに思いついて。それで急遽、本を書きました(「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」講談社現代新書より7月15日刊行)。ドキュメンタリー作りもタイミングが極めて大事ですけれども、この本も『Peace』をこれから公開しようという「今」しか書けないなあと思ったんですね。


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震災後の世界を生きていくためのヒントが、
この映画にあるような気がした


――最後に聞きたいのですが、今回の東日本大震災は、いわゆる“作家”と呼ばれる人たちにとって、おそらくどこかで1度は向き合わざるをえない題材になってしまった気がして。特にドキュメンタリーの作り手に与える影響は大きいように思うし、実際、すでに被災地には報道を含む取材班が入っていると聞きます。想田監督自身は今回の震災をどう受け止めたのでしょう?

 
『Peace』
(C)2010 Laboratory X, Inc.
想田:震災が起きた直後は、正直、頭が真っ白になってしまいました。もともと「原子力発電は本当に安全なの?」と疑っていたし、反原発運動にも一時期関わっていたこともあったんですね。だから建屋が吹っ飛んだ映像を観たときは、恐れていた悪夢が現実化したような感じを受けた。極端に聞こえるかもしれないけど、“この先、日本で人や動物や植物が生きていけるのだろうか?”とも思いました。
 だから、震災直後しばらくは、自分のやっていることが無意味に思えてしまって。『Peace』の公開準備を進めていましたけど、震災前に撮られたこの作品を「今さら公開することに何の意味があるんだろうか?」とも考えました。ただ、あれこれ思い悩んだ挙げ句、結局は、「今までやってきたことを今まで同様にしっかりやっていくしかない」との考えに至りました。
 人間はそれぞれに自分の生きる場所があると思う。それが僕の場合は、映画という世界で。その中で映画作家という役割を与えられている気がするんです。だから、その与えられた場所で精一杯のことをやるのが大事。そういう風に意識を変えました。そういう風に変えた意識で『Peace』を観ると、これがちょっと違った意味をもってくることに気づいたんです。

――僕も最初に拝見したのは昨年の東京フィルメックスでしたけど、震災後改めて観るとある意味、日本社会の在り方であり生き方を問うものが垣間見えてきて。幸か不幸かわからないのですが、今こそ観るべき映画になってしまった気がします。

想田:そうなんです。そのことに気づかせてくれたのは、3月末に開かれた香港国際映画祭での上映でした。心に整理がつかないので、当初は出席を見合わそうと思っていたんです。でも、ちょっと思い直して参加して、『Peace』を改めて観客のみなさんと観ていたら、自分でも驚いたんですけど「今こそ観てもらいたい映画なのではないか?」と思い直して。震災後の世界を生きて行くためのヒントが、この映画にあるような気がしたんですね。それでなんとか日本公開に向けて、自分自身が動き出せた次第です。

――やはり今回の震災は今後の創作に大きな影響を与えそうですか?

 


想田:そうですね。今回の震災で僕はかなり具体的に“死”というものを意識しました。考えてみれば、橋本さんもそうですけど、「次の瞬間に死ぬかも知れない」と思いながら生きていた「戦争を知る世代」はそのほとんどがこの世を去り、僕ら現代の日本人の大半は、長い間生命の危機や身の危険を感じずに生きてきた気がするんですね。で、それは素晴らしいことでもあるんですが、その裏返しとして、死が遠ざかることで「生きること」も遠ざかってしまっているところがあるのではないでしょうか?
 でも、今後は誰もが常に放射能や死を意識せざるを得ないでしょう。そのこと自体は悲劇的ですが、僕は肯定的な側面も観ていきたい。死と生はセットで、死を意識することは、同時に生を意識することでもあるわけですから。生きる上で何がほんとうに大切なのか、考え直すきっかけになるような気がします。僕自身、生かされているこの瞬間瞬間を大切にしながら、より切迫感をもって映画作りに挑んでいきたいと思っています。



 
  Profile: 想田和弘(そうだかずひろ)

1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ卒。93年よりニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手がけた後、台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。第1弾『選挙』(2007)は世界200カ国近くでTV放映され、米国ピーボディ賞を受賞。ベルリン国際映画祭正式招待、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを受賞。第2弾『精神』(08)は釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、香港国際映画祭優秀ドキュメンタリー賞等受賞多数。2010年9月本作『Peace』(観察映画番外編)を発表。韓国・非武装地帯ドキュメンタリー映画祭オープニング作品、東京フィルメックス観客賞、2011年香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞等受賞。現在、平田オリザ氏と青年団を撮った『演劇(仮)』(観察映画第3弾)を編集中。『Peace』のメイキングを通じた観察映画論「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(講談社現代新書)を7/15(金)に刊行。

映画『Peace ピース』
(配給:東風 7月16日(土) シアター・イメージフォーラムにてロードショー ほか全国順次公開)
公式サイト:http://peace-movie.com/

(C)2010 Laboratory X, Inc.
   

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