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須藤泰司インタビュー

東直己のハードボイルド小説を映画化した『探偵はBARにいる』。原作は<ススキノ探偵シリーズ>として現在11巻まで出版されているが、映画もシリーズ化を前提として製作されているという。この作品を手がけたのは、大人気テレビ・ドラマ「相棒」を立ち上げた実績を持つ、東映の須藤泰司プロデューサー。実は「相棒」を作る以前から、この企画を16年間も温め続けてきたという。念願の企画を実現させるに至った道のりとは?

取材・文/根本悠

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すべては「相棒」という“名刺”を手にしてから。

――東映に入社してから、プロデューサーになるまでには、どのような経験をされたのですか?

 
須藤:テレビ部に配属されて、最初の1年間はデスクで電話の取次ぎをしてました。まだ携帯電話がなかった時代なので、もう40人ぐらいいるプロデューサーに朝からかかってくる電話を、2人で次から次へと全部メモして貼り出していました。1日中やっていたので、家で電話取っても「はい。東映テレビです」って、自然に出てきてしまうほどでした。ただ、携帯がないので6時になるとみんな帰るんですよ。まだ景気が良かったので、毎日、残っていたプロデューサーの誰かに誘われて飲みに行っていました。

――忙しくて、暇がなさそうですね。


須藤:大学生の時は演劇をやっていて、卒業後、自分の劇団を立ち上げようと思っていたのですが、さすがに演劇をやる余裕はありませんでした。東京には観たい劇団がいっぱいあったので、休みの日などに観まくっていました。それが後々、キャスティングする時に役立ったりしました。

――須藤さんはプロデューサーだけでなく、脚本も手がけていらっしゃいますが、いつ頃から脚本は書いていたのですか?

須藤:学生の時は、劇団で色々やって、演じるのもスタッフも脚本を書くのも経験しました。また、映研にも入っていて、自分の脚本で8ミリ映画を作ってもいました。それで入社した頃、東映の東京撮影所で石黒賢さんの主演ドラマ「ビーナスハイツ」を作っていたんですけど、それをいつも観ていて、シット・コムは大好きだから自分も書けると思い、脚本を書いて持っていったら、いきなり採用されたんです。ノーギャラだったんですけど。それが東映に入って最初の仕事です。

――東映の社内では、そういうことは珍しくないのですか。

須藤:酒の席で、演劇の脚本を書いていることは話していましたから、驚かれはしなかったです。でも、脚本まで書くプロデューサーはあまりいないので、やっぱり珍しかったと思いますよ。自分としては「何が楽しいか?」って聞かれれば、作品の元となる企画書や脚本を作るのが楽しいので、それを当たり前のこととしてやっただけなんです。

――入社2年目になり、電話番からの環境の変化はどうでしたか?

須藤:ある日突然、明日から「さすらい刑事(けいじ)旅情編」のアシスタント・プロデューサーをやれと言われて。でも僕は、刑事ドラマに詳しくなかったんですよ。ライト・コメディが好きだったので、そちらへ行きたいと思ってたのですが、いきなり刑事ドラマへ突っ込まれて最初はきつかったですね(笑)。70年代のフィルム・ドラマの「傷だらけの天使」とか「探偵物語」とかは大好きで観ていたんですけど、「太陽に吠えろ」のような、いわゆる刑事ドラマっていうのは、ほとんど観たことがなくて興味も無かったんですね。なにかジャンルにこだわって観るということもしないので、分からないことだらけで。

――いきなりの刑事ドラマの現場では、やっぱり苦労しましたか。

 
須藤:そうですね。でも、やって良かったです。「さすらい刑事〜」が凄かったのは、鉄道警察の話なので2本に1本が必ず地方ロケだったんです。3年ぐらいやって、(現地で段取りを)どこにどう渡りをつければ良いのかっていうのが、当たり前のようにできるようになりました。『探偵はBARにいる』の札幌ロケでも役立ちました。ありがたかったのは、先輩プロデューサーが毎週行われる脚本家との打ち合わせに入れてくれたことです。自分も意見を言えたのですが、そこで徹底的に実際の脚本の作り方を知ることができました。1話完結のドラマを何人かの脚本家で書いていたんですが、それぞれの脚本家とやり取りをしながら1つの作品(シリーズ)として作っていくという、脚本の作り方を「あ、こうやるのか」と徹底的に学びました。やってるうちに刑事ドラマも面白くなってきて、「どうせやるなら自分のやりたいものをやろう」と思いました。

――演劇の脚本とは違いましたか?

須藤:好きなものを書くという点では変わりません。大きく違うのは、仕事として放送に穴を開けるわけにいかないことです。毎回完璧な作品はできないけど、「ここが良いから何とかしよう」とか時間内で何ができるか考える方法を「学ばせて頂いた」という感じです。

――その頃、脚本賞(日テレ・シナリオ登竜門'98佳作入選)を取られてますね。

須藤:若い頃は、会議で意見を言っても「オマエなんか、10年ぐらい雑巾がけでもしてりゃいいんだよ」って言われるんです(笑)。それは、みんな通る道なんですよね。それで「箔をつけるために賞をもらえばいいんだ」と思いたって、いち応募者として送ったら、なんとか入選できたんです。

――そのように現場で揉まれつつ(笑)、刑事ドラマの現場に慣れた頃に、原作の「探偵はバーにいる」に出会われたということですが、もともと本は好きだったんですか。

須藤:「相棒」を始め、ずっと刑事ドラマをやってたこともあって、推理小説やハードボイルドに詳しいと思われがちなのですが、本を読むのが遅いんです。読むことは嫌いではなくて、一応そこそこは読んでいるとは思うんですが、とにかく読むのが遅いので読書家といえるレベルでは全然無いんです。

――その中でも東直己さんの原作に行き当たった経緯は。

 
『探偵はBARにいる』
(C)2011『探偵はBARにいる』製作委員会
須藤:入社して2年目ぐらいに「探偵はバーにいる」が文庫化されたのを見つけたんです。日本で地方都市を舞台にしたハードボイルドもなかなか無いですし、なにより札幌を舞台にしているというのが珍しくて手に取ったんです。でも「そんなに面白いこともないだろう」と思って、しばらく読んでなかったんです。半年ぐらいたって「ちょっと読んでみよう」と読み始めたら、とにかくキャラクターがすごく面白くて、「あぁ、これはいいな」と思ったんです。その頃、映画化することになる2作目「バーにかかってきた電話」が出て、これが本当に良くできていて。ハードボイルドのフォーマットが全部入っているので、これは「映像化できるんじゃないか?」と思ったのが始まりです。

――原作を読んで、すぐに企画を立ち上げたのですか?

須藤:いや、単純に考えても地方ロケだし、そもそも自社企画の映画なんて、その頃なかったんですよ。今でも、あまりないですけど。さらに、まだ2年目の若いやつの企画なんて通らない。たとえ面白い企画でも、社会的、業界的信用がないやつにお金を使わせてくれる人はいないんです。ようやく「相棒」みたいな作品に当たって、大ヒットして認知されたおかげで“名刺”ができる。そこで初めて話を聞いてもらえるようになる。そうなるために、ずっとやってきた感じです。

――それでは、16年間という時間のほとんどは“名刺作り”にかかったんですね。

 
『探偵はBARにいる』
(C)2011『探偵はBARにいる』製作委員会
須藤:映画『スペーストラベラーズ』(2000)を、企画だけやったことがあるんです。『探偵〜』にも出てもらってるジョビジョバのマギーの演劇が原作の作品です。社内で企画を募集していたので応募して通って、だけど、そこから進まなくて四苦八苦していたんです。ある日、「踊る大捜査線」がヒットした直後の本広克行監督が、企画書をたまたま読んでくれたんです。そして大ラッキーなことに「やりたい」と言ってくれて、急に企画が大きくなって動き出したんです。でも僕はテレビ部の人間で、映画をやったことがなかったし、まだ“名刺”がなかったので、意見を言える状況じゃなくなっちゃったんですよ。とてもくやしくて「自分で全部コントロールできる力がつくまで、『探偵〜』はやっちゃいけない」と思った経験もあります。

――その後、ドラマのプロデュースを続けるなかで「相棒」という“名刺”を手にされますが、それだけでなく、その時のスタッフが『探偵〜』にも参加し、チームワークを発揮されてますね。

須藤:音楽の池(頼広)さんは「舞妓さんは名探偵!」からすべて頼んでいて、『探偵〜』の音楽は1年前から、どういう音楽でいきたいかずっと話をしていました。監督の橋本(一)さんも、「舞妓さん〜」からの長い付き合いです。脚本の古沢(良太)さんは「相棒」と「ゴンゾウ 伝説の刑事」。古沢さんは「ゴンゾウ〜」で、向田邦子賞を受賞しました。東映が制作している、いわゆる水曜9時枠って50年ぐらい刑事ドラマをやっているんですけど、1度も賞を取ったことがなかったんです。その枠で、脚本家にとっては直木賞と芥川賞を合わせたような賞を取ったことは、古沢さんはじめ我々の自信になったし、映画へのはずみがつきました。今回も古沢さんに入ってもらえたことは凄いラッキーで、僕が書いたつたない脚本をどうするかっていうのも、プロデューサーとして計算できてやりやすかったです。

――今回、プロデューサーだけでなく脚本も書かれていますね。

須藤:テレビ部の所属なので、映画企画のための予算がつかないんですよ。だから脚本家に頼むためのお金がないので自分で書いた。そういうことで、開発費がゼロの映画なんです(笑)。

――映画に参加することはできなかった、「相棒」制作中に亡くなられた脚本家の砂本量さんへ、スペシャル・サンクスを映画で贈られていますね。

 
須藤:砂本さんは、もとは大映で映画畑を進んで来られた方なんです。橋本監督と「舞妓さん〜」をやった時に、砂本さんに東映へ来てもらって脚本を書いてもらったのが始まりです。その時、演出した橋本監督を褒めてもらったり、「相棒」で15本ほど書いてもらったのですが、他のメイン・ライターがまったく書けなくてすごく苦しい時に5日間で書いてもらったり、本当に助けて頂いたんです。それで橋本監督と自分は、砂本さんにすごく恩義を感じていて、葬式の時に橋本監督と号泣してですね、その夜「(砂本さんに向けて)絶対映画を作ろう」と2人で決めました。映画の原動力となったのは、この時の思いがあります。その時『探偵〜』の映画化を、具体的に考え始めました。無駄に過ごしてたら時間は経ってしまうので。

――まず行動されたことは、なんだったのですか。

須藤:家族が体調を崩して、面倒を看るため半年ほど休職することになって、「相棒」からは『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』の脚本協力までで、離れることになりました。それで札幌に帰ったその間、何もしないのはヤバイと思って、自分で決めたことが2つあって。1つは夏目漱石を読む。時間ができるし、本ぐらい読もうと(笑)。もう1つは、東さんに会って原作をやらせてもらえませんかって話をしようと思っていました。東さんの妹さんがやってる居酒屋“小太郎”ってあるんですけど、調べてそこへ行って、そこで東さんの情報を仕入れて、来る日を張ったんですよ。お酒を飲んで、東さんはすごい映画好きなので、そういう話で盛り上がって「実は『相棒』の映画をやってるんですけど」って切り出して、「あ〜知ってます知ってます」と答えてくれたので、「もし良かったら『探偵はバーにいる』を映画化したいんですけど、原作を預けてもらえませんか」って聞いたら、「あ〜いいですよ」って軽い感じの返事で(笑)。僕も「あ〜、じゃあよろしくお願いします!」って(笑)。そういう軽い感じでゆだねてくれたのが、逆にもの凄い責任を感じることになって「これは何とかしなきゃいけない」とプレッシャーになりました。今、本当に「映画にできて良かったなぁ」と思います(笑)。

――須藤さんも東さんも北海道生まれ。作品の舞台も北海道。そして、主演の大泉洋さんも北海道出身ですが、大泉さんの出演が決定した経緯は。

 
『探偵はBARにいる』
(C)2011『探偵はBARにいる』製作委員会
須藤:まず、僕の特別な思い入れなんですけど、原作の東さんが札幌の人間で、主役は札幌のススキノを根城にしているので、そういう人物を道外の人がやるっていうのは、ありえない。でも最初、探偵役に関しては、役者がいなかったんですよ。その後「水曜どうでしょう」が世間的に認知された頃、今回も録音部を担当してくれている田村さん(北海道出身)から、「面白いから、道民なら絶対に観ろ」と勧められて、「ホントかよ?」って思ってしばらく観ないままだったんですけど、観始めたらメチャクチャ面白かったんですよね。そしたら、「この人、探偵にピッタリじゃん」って思って。それから3年ぐらいたった頃に、大泉さんには原作本を渡して、話だけはしてたんです。それで、東さんに許可をもらって東京に戻ってから、まず「ゴンゾウ〜」をやったんですが、視聴率はあまりいかなかったけれど賞を取って評価されて「相棒」だけでなく「ゴンゾウ〜」まで“名刺”として使えるようになったので、「これはチャンスだ」と企画書を大泉さんに渡しに行きました。その頃には大泉さん売れちゃってて、スケジュール調整が大変で困りました。でも、大泉さんはもともと北海道の事務所だったんですけど、東京に進出して「相棒」の寺脇(康文)さんと同じ事務所にも所属していたので話しを通しやすくて助かりました。企画書を渡した後に脚本を読んでもらったら、「探偵役をやりたかったんだ。ぜひやらせてください」と言ってくれて主演に決定しました。主演が決まると企画って、回りやすくなるんです。具体的に進みだして「これは映画化できるかもしれない」と思いました。そこから2年かかって撮影に入りました。原作読んでから16年。大泉さんを主演にと考えてからだと、8年かかりました。


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今の邦画の有り方に対する、我々の憤りをぶつけてみたかった。

――テレビ部で映画を作るというのは、大変だったのじゃないですか?

須藤:「テレビ屋に映画作れるのか?」っていうのは、昔はありましたけど今はないですね。もうそんなこと言ってられないんじゃないかと思います。映画の人たちもなかなか作れてないですし。

――宣伝資料にも書いてありますが、プログラム・ピクチャーの雰囲気、映画のエンターテインメントしての面白さがあって楽しかったです。

 
『探偵はBARにいる』
(C)2011『探偵はBARにいる』製作委員会
須藤:プログラム・ピクチャーが持っていたパワーのようなものが狙いです。昔は各映画会社が、たくさん作っていました。今は、ベストセラーの原作で、大宣伝かけて映画をイベント化していかないと当たらない。でも半年たったら、忘れられてる。そういう邦画の有り方に対する我々の憤りをぶつけてみたかった。いろいろな映画の形はあるけど、観終わった時に「わりとおもしろかったよ」っていうそんな感じ。単純にそれでいいんですよ。「大傑作!」「すばらしい!」じゃなくていい。でも、それって難しいことで。そういう映画を作りたかった。

――ほど良いエンターテインメントのバランスへ落とし込む作業で、観客に対してどのような点を意識されましたか。

須藤:観客を意識する前に、自分が面白くないものは他人も面白くないんですよ。「自分が面白いと思うものが、他人だって面白いんじゃないかな?」って作るだけです。「観客が面白いと思うものを作ります!」なんて、僕には言えません。人のことは分からないから。それを研究して作る人もいて、それはそれでアリだけど、僕は自分の観たいものを作りたいだけ。10人いたら5人に無視されて、3人に嫌いだって言われて、でも2人ぐらい好きだって言ってくれれば十分じゃないかなと作ってます。全員に好かれなくていいんですよ。

――その心境に至ったのは…。

 
須藤:「相棒」をやってる時に、ボロカスに書いてくる人がいたんですよ。“氏ね”とか書き込みがネットにあって。でも、一歩引いて考えてみると、みんなに好かれるってありえないですよね。みんなに好かれるっていうのは、結局だれにも好かれないということで。視聴率を20%取るのが無理でも、13,4%で合格なら、そのぐらいの人たちに対して真剣に作れば、こっちもブレないで作れますし、そう作っていれば、もっと多くの人を引き込むことができるかもしれない。最初からみんなに好かれるものを作りたいっていうのは、そもそもアンタ誰も好きじゃないでしょうって思います。

――シリーズ化も考えられてるとのことで、他に類のない作品ですよね。

須藤:原作がシリーズなので、映画もシリーズにしたいなと思っていて、テレビで経験したノウハウを活かせると思ってます。気付いてみると、いま最初からシリーズ化を狙っていく映画って無いんですよ。捨てられていた古臭い手法だけど、逆に今やることが実は新しいんじゃないかなと。企画をいろんな方に説明した時に「そんなにお金をかけず、シリーズ化できる作品を作りたいです」と言うと、社内でも俳優さんでも「それいいですよね。昔そんな映画ばっかりだったもんね」って、意外と多くの方に興味を持って頂けました。

――先日亡くなられた岡田茂さんが、以前に手がけられてたようなプログラム・ピクチャーのようですね。

須藤:時代も作品の内容も違いますけど、大きく言えばそうですね。やっぱりある種の映画の有様として、こういう風な作品が何本かあってもいいんじゃないかと思います。

――岡田さんとそういう話は。

須藤:話したことがあるのは、入社試験の面接の時だけです。「あなたが採用したボンクラの社員がようやくこんな映画を作りましたよ」って、この映画観て欲しかったですね。なんて言ったかな? 「なかなか悪くないじゃないか」って言ったかもしれないし、「分かってねえな」って言ったかもしれないし。それが聞けないのがすごく残念です。

――砂本さんの感想も聞きたかったですね。

須藤:砂本さんは、かなり喜んでくれたんじゃないかな。それは自信あります。それと「舞妓さん〜」で出てくれた、原田芳雄さんにも観て欲しかったです。その時の演出が橋本監督だったんですけど、砂本さんと同じようにえらく監督を褒めてくれて。映画に出てもらいたかったし、ようやく一緒に仕事できるような所に来たかなって思ったんですけど。残念です。

――16年、長いようでいて…すべてが『探偵〜』につながっていますね。

 
須藤:まったくマイナスのことなんて無かったですね。そういう意味では、抜かりなくやれてる方じゃないかなと思ってるんですけど(笑)。どうでしょう?







 
  Profile: 須藤泰司(すとう・やすし)

1968年、北海道・札幌生まれ。札幌の映画館に通う映画少年となる。京都の同志社大学・商学部へ進学、演劇に打ち込む。大学院に進むかたわら劇団を立ち上げようとするが、1社だけ試験を受けた東映へ1992年入社することに。その後「相棒」シリーズ(Pre Season〜season5)、「ゴンゾウ 伝説の刑事」、「853 刑事・加茂伸之介」など多くのTVドラマのプロデューサーを務める。また、急逝した脚本家・砂本量が残した「相棒」の脚本を、瀬巻亮犬名義で補筆するなど脚本家としても活躍。映画は「スペーストラベラーズ」で企画立案、『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』では脚本作成協力として参加。

映画『探偵はBARにいる』
(配給:東映/2011年9月10日(土) 全国ロードショー)
公式サイト:http://www.tantei-bar.com/

(C)2011『探偵はBARにいる』製作委員会
   


  取材協力: おでんBar 酔II(スイツー)

 
住所:東京都新宿区歌舞伎町1-1-10 2F
電話:090-6168-6820
営業時間:19:00〜翌1:00(※日によって変更になる場合があります)
定休日:日・祝
http://ameblo.jp/bar-sui/

マスターが長年の東直己ファンということで、須藤プロデューサーはじめ、『探偵はBARにいる』関係者も通うバー(プロデューサーもBARにいる!)。東さんも東京を訪れた時に立ち寄ることもあるとか。上の写真で須藤プロデューサーが指をさしている、東さん直筆サイン入り特大ポスターも店内に貼られています。
   

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