名匠の達観さえ感じさせる、軽妙洒脱な手腕に唸る

この作品で成立している世界は、神業と思わずいいたくなるほどだ。(鴨志田穣の自伝的小説をもとにした)フィクションでありながらノン・フィクションのようでいて、ノンフィクションでありながらどこかファンタジー、ファンタジーではあるけれど妙にリアル。こういった水と油のように隔離している事象が絶妙なバランスで存在しながら、何の違和感もなく作品世界を形成して、ひとつのドラマを成立させてしまっているのだ。
例えば、冒頭、主人公の塚原がトイレで血を吐き、救急車で病院まで運ばれる場面。ここに存在するリアリズムたるや、まるでそのシーンが実際に起こった瞬間にたまたま居合わせた錯覚を起こさせるぐらい。そんなシーンがあった後に、あえて“ヘンテコ”と称したい突拍子もないアルコール依存症の人間が抱く妄想シーンがファンタジックな表現をなされて入ってくる。ところが、この両極端な場面の間に違和感がまったくない。その両輪が見事に融解して唯一の作品世界を作り上げると、実際の出来事に感じられるような活き活きとしたドラマが展開していく。だから、ここに登場する浅野忠信は、浅野忠信という役者でも塚原という役柄でもない、浅野忠信という人間そのものが存在している気さえしてくる。
この世界観を作り上げたのは名匠、東陽一監督の達観さえ感じさせる演出にほかならない。監督キャリア40年を超す日本映画界の名手のりきみのない軽妙洒脱な手腕に思わず唸った。
(水上賢治)
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さらりとした描写、さりげない演技に心洗われる

「同情されない病気」「自業自得」と劇中で言われるような、アルコール依存症の主人公をめぐるドラマを通じて、やがて晴れやかな太陽のように明るくおおらかな愛情にたどりつく至高のラブ・ストーリーが物語られる。
治癒率の低さからいって、ある意味で難病といえるが、いわゆる難病モノとは趣きが異なり、病気と闘うというよりも、むしろ、何かに憑依されていたような依存症の状態から、憑きものが落ちていくような過程が淡々と描かれている。それは、「しょうがなさ」を受け入れることでもあり、弱さを認められるかどうかに、かかっている。実は、誰かを傷つける人間というのは、そもそも本人自身が最も傷ついているものだ、手負いの獣のように。
かつて酒乱に疲れ果てて暴力から子供を守ろうと離婚したとしても、「好きになった人は嫌いになれない」という情の厚さと離れていても見守ろうとする絆を女は手放さなかった、人間は一人では生きていけないものだと知っていたかのように。アルコール依存が何かから逃げようとすることだとしたら、結局、帰れる場所があるかどうかは大事だ。
さらりとした描写、さりげない演技が新鮮で、心洗われる思いがする。はまり役で出色の浅野忠信と永作博美が素晴らしい。それだけでなく、子供たち、医者たち、看護師たち、患者たちといった周囲のキャラクターが控えめに好演しており、ささやかで繊細な世界を確信に満ちたものにしている。
(鶴巻啓子) |
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