HogaHolic × JAPANESE EYES




監督/脚本/編集:東 陽一
出演:浅野忠信 永作博美 香山美子

(C)2010 シグロ/バップ/ビターズ・エンド
118分 日本語 カラー 35mm | 2010年 日本 | 配給:ビターズ・エンド/シグロ


名匠の達観さえ感じさせる、軽妙洒脱な手腕に唸る

 この作品で成立している世界は、神業と思わずいいたくなるほどだ。(鴨志田穣の自伝的小説をもとにした)フィクションでありながらノン・フィクションのようでいて、ノンフィクションでありながらどこかファンタジー、ファンタジーではあるけれど妙にリアル。こういった水と油のように隔離している事象が絶妙なバランスで存在しながら、何の違和感もなく作品世界を形成して、ひとつのドラマを成立させてしまっているのだ。
 例えば、冒頭、主人公の塚原がトイレで血を吐き、救急車で病院まで運ばれる場面。ここに存在するリアリズムたるや、まるでそのシーンが実際に起こった瞬間にたまたま居合わせた錯覚を起こさせるぐらい。そんなシーンがあった後に、あえて“ヘンテコ”と称したい突拍子もないアルコール依存症の人間が抱く妄想シーンがファンタジックな表現をなされて入ってくる。ところが、この両極端な場面の間に違和感がまったくない。その両輪が見事に融解して唯一の作品世界を作り上げると、実際の出来事に感じられるような活き活きとしたドラマが展開していく。だから、ここに登場する浅野忠信は、浅野忠信という役者でも塚原という役柄でもない、浅野忠信という人間そのものが存在している気さえしてくる。
 この世界観を作り上げたのは名匠、東陽一監督の達観さえ感じさせる演出にほかならない。監督キャリア40年を超す日本映画界の名手のりきみのない軽妙洒脱な手腕に思わず唸った。
(水上賢治)
  さらりとした描写、さりげない演技に心洗われる

 「同情されない病気」「自業自得」と劇中で言われるような、アルコール依存症の主人公をめぐるドラマを通じて、やがて晴れやかな太陽のように明るくおおらかな愛情にたどりつく至高のラブ・ストーリーが物語られる。
 治癒率の低さからいって、ある意味で難病といえるが、いわゆる難病モノとは趣きが異なり、病気と闘うというよりも、むしろ、何かに憑依されていたような依存症の状態から、憑きものが落ちていくような過程が淡々と描かれている。それは、「しょうがなさ」を受け入れることでもあり、弱さを認められるかどうかに、かかっている。実は、誰かを傷つける人間というのは、そもそも本人自身が最も傷ついているものだ、手負いの獣のように。
 かつて酒乱に疲れ果てて暴力から子供を守ろうと離婚したとしても、「好きになった人は嫌いになれない」という情の厚さと離れていても見守ろうとする絆を女は手放さなかった、人間は一人では生きていけないものだと知っていたかのように。アルコール依存が何かから逃げようとすることだとしたら、結局、帰れる場所があるかどうかは大事だ。
 さらりとした描写、さりげない演技が新鮮で、心洗われる思いがする。はまり役で出色の浅野忠信と永作博美が素晴らしい。それだけでなく、子供たち、医者たち、看護師たち、患者たちといった周囲のキャラクターが控えめに好演しており、ささやかで繊細な世界を確信に満ちたものにしている。
(鶴巻啓子)
 




監督/脚本:瀬田なつき 脚本:田中幸子
出演:大政 絢 染谷将太 鈴木京香 田畑智子

(C) 2010 「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」製作委員会
110分 日本語 カラー 35mm | 2010年 日本 | 配給:角川映画

誰にも真似できない、天性のリズム

 今回、この部門に選出された8本の中で、最も賛否を呼ぶのがこの作品なのかもしれない。猟奇的かつ狂気的な殺人と、それに関わった人間の心理が背景にあるドラマは、いわゆる倫理観が問われる内容。それゆえ、安易に触れてはならない重い題材が、軽いタッチで描かれることに違和感を覚える人もいるに違いない。だが一方でライト・ノベルが原作であり、あくまで作りモノの話として描かれた過激な世界を描くには、このタッチも悪くないという人もいることだろう。もっと言うと、世代によっても大きく受けとめ方がかわるのかもしれない。若者世代は今の時代の空気やいまどきのティーンの心の闇をうまく捉えていると共鳴するかもしれないし、逆にそれより上の世代はどう反応していいかわからないといった具合に。
 ただ、その中にあっても手がけた新鋭、瀬田なつき監督の演出の秀逸さは目を見張る。役者の芝居の間、シーンの中においての時間の配分、映像のカットワークなど、そのどれもが彼女の個性としか言いようのない不思議なリズムを刻む。そこからは綿密かつ妥協のない演出プランも見受けられる。しかし、最終的にこのセンスはおそらく誰にも真似できない彼女自身が持つ天性のもの。その比類なき感性に今後を大いに期待したくなる。
 心がどこにあるのかわからない主人公・みーくんを演じた染谷将太、誘拐犯役でとてつもない狂気を見せる鈴木卓爾ら、力量ある役者たちがこれまでとは違う魅力を発していることも見逃せない。
(水上賢治)
  嘘つきは映画の始まり

 “嘘つきは泥棒の始まり”と言うけれど、いい意味で“嘘つきは映画の始まり”とも言えるのではないだろうか。
 『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』は、累計100万部を突破したライトノベルの話題作をベースにして、映画という嘘を爽快なまでに、まるで鮮やかな魔法のように見せてくれる。現在も完結せず続いている原作からエッセンスを抽出し、誘拐や殺人といった事件の影をしのばせながら、まぶしいほどの純愛を描き、瀬田なつき監督ならではのポップな新しい青春映画が誕生した。
 モノローグやセリフで説明してしまうのでなく、キャラ立ちして演出された俳優たちが魅力的に動き回り、映像と音で提示される物語だからこそ、軽やかさが際立つ。そんなポップすぎる明るさは、あらかじめ失われているところから始めるしかないという絶望を突き抜けるための強さでもあるのだ、と作品全体を通じて立証されている。映画という嘘であっても(いや、だからこそ)、そこに浮かび上がる真実の強度は胸に迫る。
 新鮮なアプローチで現代の空気を取り込んだこの作品は、東京藝術大学映像研究科を卒業し、“未来の巨匠たち”特集上映などで注目を集めてきた瀬田監督の商業映画デビュー作にあたる。また、東京藝術大学脚本領域卒業生で『トウキョウソナタ』共同脚本も手がけた田中幸子が脚本に参加。音楽は、『彼方からの手紙』『あとのまつり』などこれまでの瀬田作品でもコラボーレーションしてきた木下美沙都が担当し絶妙に盛り上げている。そして、撮影に冨永昌敬監督とのコンビ作などで活躍している月永雄太が起用され、スタッフ・ワークについても日本映画の新世代の息吹がうかがえる。
(鶴巻啓子)
 




監督/脚本/編集/プロデューサー:深田晃司
出演:山内健司 杉野希妃 古舘寛治

(C) 歓待製作委員会
100分 日本語 カラー HDCAM | 2010年 日本 | 配給:[和エンタテインメント]

クラシカルでありながら実験的

 手がけた深田晃司監督は1980年生まれ。まだ若いので、こう言っては失礼に当たるのかもしれないが、この作品には日本映画の伝統を尊重しているようで、どっしりとした落ち着きを感じてしまう。
 まず、映画全体の印象として受けるのが、古き良き日本映画の香り。昨今はリアリティを出そうと、流動的なカメラワークを主体にした撮影手法を安易にとるケースが多い。それに異を唱えるように深田監督は、しっかりと狙いをつけた構図の中で、役者たちにしっかりとした芝居をさせる。そして、映画全体の中では、実に緩やかな時を刻むフェイド・インとアウトが時折シーンをつなぎ、その一方で人物を正面から捉えたカットバックを効果的に挿入。こうして構築された作品からは、成瀬巳喜男や小津安二郎といった日本映画の歴史を築いてきた名匠たちの影響を感じずにはいられない。
 ただ、映画の表現手法としてはクラシカルな雰囲気をまとっているが、ストーリーはある種、モダンでオリジナリティが存在する。これでもかと登場人物の説明が事細かにされる傾向の強い日本映画に異を唱えるかのように、この映画では人物の人となりがほとんど語られない。それは、受け手の各人物への感情移入を封印しようとしていると感じるほど。ところが、例えば人が人にじわじわと取り入っていく様といった、その場の状況の積み重ねがいつしか独特のドラマとなり、不思議な説得力を持ったストーリーへと昇華していく。
 クラシカルでありながら実験的。そこには監督のあくなき映画への探究心が伺える。
(水上賢治)
  従来的な映画制作とは異なる方法論

 東京の下町で小さな印刷所を営む家族が、ある男の介入により変化にさらされていく不条理ドラマ。これまでの閉じて充足しながら停滞していた状況から、外から入りこんだ刺激により、好むと好まざるとにかかわらず、潜在的な欲望が呼び起こされてしまう。いまの日本社会に偏在する問題が寓話的に描かれており、深い人間観察と鋭い社会批評がうかがえる。現代化やグローバリゼーションのあおりを捉えながら、規範とは何かと問いかけ、思考実験が展開される。
 深田晃司監督は、『ざくろ屋敷』(06)『東京人間喜劇』(09)ではバルザックをモチーフにして物語作りをしてきたが、この作品ではジャック・デリダが提唱した“歓待”の概念にアプローチしている。1980年生まれの深田監督は映画美学校で学んだのち、2005年より平田オリザの主宰する劇団・青年団の演出部に所属。『東京人間喜劇』と『歓待』は青年団の製作により、俳優たちも多数参加し、深みのある演技でドラマに血肉を通わせている。従来的な映画製作とは異なる方法論によってユニークな作品が成立している。
 また、共同プロデューサーであり、ヒロインを演じた杉野希妃は、これまでも日本・韓国・マレーシアで若手のインディペンデント映画に出演している。各国の新世代の作り手と組んでいる杉野が、日本からの新世代映画として発信しようという意気込みも見逃せない。
 なお、撮影にはデジタル一眼レフカメラのキヤノンEOS-7Dが使用されており、低予算の枠組の中でクオリティ高い映像を引き出している。
(鶴巻啓子)
 




製作/脚本/監督:橋本直樹
出演:於保佐代子 柳生みゆ 滝沢涼子

(C)2010 ウィルコ/ブレス/サンクスラボ
108分 日本語 カラー 35mm | 2010年 日本 |

作り手としての視点を持つ、揺ぎない信念

 大手メジャーが敬遠しそうな難題や、躊躇してしまうような題材に果敢に挑むのがインディペンデント映画のひとつの使命であり、存在意義である。あえて、そう定義するならば、本作はきわめて正統派といえるインディペンデント映画といっていいだろう。
 “幼児虐待”や“捨て子”のニュースがさかんに伝えられる現代において、親の無責任さやその暴力性は、ある意味、“そこまでの情報が必要なのか?”と思うぐらい、重箱の隅をつつくぐらい事細かに伝えられ、追求される。それは、いつしかプロパガンダとなり、人々の心をコントロールしていき、“親=悪”へと導く。その一方で、子は善として必要以上に美化されていく。橋本直樹監督が手がけた本作は、そんな現代日本の風潮と当たり障りのない題材ばかりの日本映画に反旗を翻し、勇気をもって親に捨てられた子供の心の闇を描ききった一作といえる。
 孤児院で育った少女が、母親を見つけ出し、その娘を誘拐して、ひとつの復讐に及ぶ。不謹慎なドラマかもしれない。でも、こういう事態は絶対に起きないと誰が断言できるであろうか?橋本監督は、そこで逃げも隠れもせず、少女の母に対する憎悪と相反する歪んだ愛情を自分の意見と見解をもって描き出す。否定的な意見はあるかもしれない。でも、この作り手として、自身の視点を持つ揺るぎない信念には拍手を送りたい。
 また、ほとんどセリフを使わず、映像の強度で勝負する姿勢、俳優の身体的な演技を最大限に引き出す演出、スクリーンサイズを意識した画の色調や風合いなど。“映画だからこそできること”を追求している点も見逃せない。
(水上賢治)
  巧妙な画面構成、奥深い寓話的世界

 寡黙なヒロインの胸中に渦巻いているものは何か。ミステリアスな雰囲気とともに一触即発の緊張感をはらませながら、事件が起こる。母と娘の純粋な愛情というテーマを悲劇的な物語を通じて象徴的に描く。
 セリフは切り詰められてナレーションなどの説明は排除され、音楽にも頼らず、状況音と陰影に富んだ映像により、徹底したミニマリズムで描写されている。シネマスコープ画面を活かした映像が美しく、人物配置と余白の取り方や横移動の演出などに鮮烈な印象を受ける。まるで絵画を見ているような錯覚におちいるほど巧妙な画面構成により、奥深い寓話的な世界が展開される。最小限の登場人物とシンプルな筋立てではあるが、きわどい背景を落とし込みながら複雑な心境をエモーショナルに表現していて、純文学的な作品といえるかもしれない。また、映像によって物語るということが貫かれており、見方によって、いろいろな解釈ができるだろう。不穏さと安らぎと、相反する両極の境地を併せ持つラストは深い余韻を残す。
 橋本直樹監督はこの作品が長編第一作目にあたるが、長年にわたって映画の製作に携わり、ドラマ・CM・PVなどの演出も多く手掛けている。橋本監督の確固たるバックボーンをもとに、高度な技巧によって映画的表現を突き詰めた作品といえるだろう。
(鶴巻啓子)
 




製作/監督:田中千世子
出演:関根祥人 関根祥六 関根祥丸 佐野史郎

(C)『能楽師 伝承』製作委員会
100分 日本語 カラー 35mm | 2010年 日本 | 配給:[『能楽師 伝承』製作委員会]

“伝承”の意味を問い、映像として捉える果敢な試み

 現在は、海外でも日本文化として高い評価を受ける“能”。狂言、落語、歌舞伎などと並ぶ日本の伝統芸能として、能は約600年に渡って芸が伝承されてきた。ということは、そこに何か理由がないわけがない。ただ、長きに渡って受け継がれてきた歴史ある芸の真髄が、そう容易に紐解けるわけがない。それをおそらく承知の上で、“能”に魅せられた田中千世子監督は、本作で観世流能楽師、関根祥人を軸にしながら、“伝承”の意味を自らに問い、能における“伝承”を映像として捉えることを果敢に試みている。
 冒頭で、カメラが見つめるのは関根祥人、関根祥六、関根祥丸という親子3代による稽古風景。そこで3者は能楽師として向き合いながら、一切の妥協を許さず、祥人と祥六は、ちょっとした仕草のひとつにまで注意深く目を向け、注文をつけ、祥丸はそこで動作や舞の基礎をものしていく。その光景は、芸を学ぶというよりも体に刻みこむと言った方がふさわしい。そして、そこからは“伝承”の一端が垣間見えてくる。
 また、興味深い点がもうひとつある。ご存知のように通常の映画には脚本があるが、ドキュメンタリー映画にシナリオはない(※実はあるものもあるが)。道筋のない、想定された展開に進まないのがドキュメンタリー映画といっていいだろう。この作品には、そんな自分の想像とはまったく違う方向に進む作品に驚く田中監督の素直な気持ちがダイレクトに入り込んでいる。そういう意味で、ひとつの作品に挑んだドキュメンタリー作家の心の遍歴に触れられる作品ともいえるだろう。
(水上賢治)
  能における伝承をひもとく

 能は14世紀に確立され、約600年もの時を越えて、口承により受け継がれてきている。2001年にユネスコにより世界無形文化遺産に認定を受け、2003年に人形浄瑠璃文楽が、2005年に歌舞伎が世界無形文化遺産に認定されることに先んじて、日本が誇るべき伝統芸能として世界的に高い評価を受けている。
 このドキュメンタリー作品は2004年に作られた第一作『能楽師』に連なるものとして2009年に撮られ、観世流の関根祥人を中核として、息子の関根祥丸への指導、父・関根祥六も参加しての三世代の稽古の模様を捉えながら、能における伝承をひもといている。
 この作品が撮られた後、2010年6月22日に関根祥人は急性大動脈解離により50歳の若さで急逝しており、大変貴重な記録となっている。特に、「道成寺」の7度目の再演にあたって、俳優・佐野史郎と民俗学者・田中英機を交えて行われた関根祥人との鼎談は、能を演じる際の能楽師のあり方が具体的に語られていて、興味深い。
 関根祥人の能に対する姿勢が紹介されるとともに、平行するようにして、能の舞台(「舎利」「道成寺」「松風」)のシーンが挿入されているが、徐々に関根祥人の演技とその背後にある能の本質が浮き彫りにされていく。
 また、「道成寺」を掘り下げる切り口として、舞台となった紀州道成寺を訪れる俳優の若者のフィクショナルな挿話がアクセントとなっている。
(鶴巻啓子)
 




監督/脚本構成/編集/撮影:廣末哲万
出演:廣末哲万 並木愛枝 新恵みどり

106分 日本語 カラー HDV | 2010年 日本 |

圧巻の“リアリティ”

 世界の映画祭で高い評価を受けた『ある朝スウプは』をはじめ、常に世に一石を投じる映画を発表し続けている自主映画制作ユニット“群青いろ”。今回届いた新作もまた、相当な強度をもつだけに観客は、その作品世界に圧倒されるに違いない。
 “いったい、日本はいつからこんなに生き辛い世の中になってしまったのだろうか?”。本作は、そんな漠然としながらも現代の日本人がおのおの、どこかで感じているかもしれない日常における不平や不条理にスポットを当て、現代の日本に漂う空気感を浮かびあがらせる。出勤前、鏡の前で自らを鼓舞する主人公の姿をとらえたオープニング・ショットからただならない空気を携えた作品は、現代を生きる人々のふとしたつぶやきをセリフに、ふとした瞬間にとってしまう本音の行動や表情を映像に映しこんで、いまここで起きているかもしれないリアルなドラマを構築していく。登場人物の置かれた状況や感じる痛みまでが見えてくるドラマは、好き嫌い関係なく、もはや他人事では済まされないものとして、観客をその世界へと引きずりこむ。毎回言われることではあるが、彼らが作品に定着させてしまう“リアリティ”は圧巻というよりほかない。
 最後に触れたいことがひとつ。今回、監督と主演を務めている廣末と、脚本も手がけた並木愛枝という“群青いろ”を代表する俳優として活躍してきた彼らが、それぞれ市川準監督や若松孝二監督の作品など役者としてもまれながら、言葉ではなく背中で何かを語れ、うったえかけられる大きな存在感のある演技者に成長したことを一筆加えたい。
(水上賢治)
  ユニークな方法論で描かれるビビッドな心象風景

 日本の現代社会のある断面を独特の視点で切り取り、生きづらさとどのように向き合っていくのかというテーマを掘り下げる。成熟しきれず逸脱的行動を起こしてしまうアダルトチルドレン的な苦悩を直視し、不器用に傷つきながらも生きていこうとする姿を真摯に描いた群像ドラマ。
 主人公は、通販会社で電話応対を担当し、そつなく仕事をこなし同僚たちとそれなりにうまくやっているつもりだが、実感の得られない日々に焦っていた。クレーマーの女性は、物質的には満ち足りていても、世間とは隔絶した生活に寂しさを感じていた。また、ヘルパーとして働く女性は、世話のかかる弟を抱えて、途方に暮れていた。それぞれの日常にたちこめる閉塞感がありありと描写されるが、限界寸前でささやかな契機によって三者三様に今までとは違う一歩を踏み出し始める。
 社会の片隅で地味に、疎外感を抱きながら人生を送っている彼らに寄り添い、その心象風景をビビッドに描き出す。極端なローアングルや異様な感覚を活かした編集など、ユニークな方法論を試みている。廣末哲万監督はこれまでも監督・主演を兼ねた映画作りにより、2004年に『さよなら さようなら』でPFF準グランプリとなり、2007年にPFFスカラシップ作品『14歳』で芸術選奨・文部科学大臣新人賞を受賞した。この『FIT』でも、脚本と撮影に高橋泉、出演および脚本・撮影・記録で並木愛枝が参加し、2005年の『ある朝スウプは』の発展型的な作品といえる。
(鶴巻啓子)
 




監督/企画/脚本:すずきじゅんいち
出演:ダニエル・イノウエ(現米国上院議員) ジョージ・タケイ

(C) 442フィルムパートナーズ
97分 英語・日本語 カラー&モノクロ Blu-ray | 2010年 アメリカ=日本 | 配給:フィルムヴォイス

日本人こそ見なければならない1本

 これはいまの日本の若者たちに限ったことではなく、年配者でも“アメリカ軍442連隊戦闘団”と聞いて、“ピン”と来る人はどれぐらいいるのだろうか?おそらく日本国内においては、それほど知名度は高くないと思う。ところがこの連隊に対する認識は、作品を見る限りアメリカ及びヨーロッパでは相当高い。第二次世界大戦時、アメリカ在住の日系人で構成されたこの特殊部隊は、アメリカ軍史上最も多くの勲章を受けたとして、本国では“アメリカ史上最強の陸軍”と称されているという。これほどの事実を、いまどれだけの日本人が認識しているのだろう?
 すずきじゅんいち監督による本作は、ひとりの写真家を主軸に日系人収容所の事実に焦点を当てた前作『東洋宮武の覗いた時代』同様に、日本人がもっと知っておくべきなのに、どこか別と切り離してしまっているような気がしてならない日系人たちの戦争史について深く切り込んでいく。中では、東条英機が日系人兵士に語った言葉など、知られざるエピソードが多数登場。そういう意味で日本人こそ見なければならない1本といっていいかもしれない。それほど、ここで語られる現在、80代半ばから90代を迎えた元兵士たちの証言は、日本人に多くの問いを投げかける。
 それにしても光るのはすずき監督の丹念な取材力だ。元兵士たちと真摯に向き合い、その言葉に丹念に耳を傾ける。その決めの細かい対応が、元兵士たちから真の言葉を引き出していることは間違いない。
(水上賢治)
  衝撃的な、知られざる史実

 80代半ばから90歳代半ばを迎え、アメリカで暮らしている日系二世のかくしゃくとした老人たち。英語を母国語として話す彼らの口から、65年前、20代でアメリカ陸軍442連隊として赴いたヨーロッパ戦線の体験が語られる。「事実は小説より奇なり」というが、このドキュメンタリーでひもとかれている証言には驚愕させられ、歴史に翻弄された個々人に思いを馳せることになる。端的に言えば映画が10本くらい作られそうなほど、ドラマが詰まっていて興味が尽きない。特に、ドイツのダッハウ強制収容所でユダヤ人を解放したのは、アメリカの日系人隔離収容所から出征してきた日系人米兵だったという史実は衝撃的だ。
 知られざる現代史に光を当て、人種差別されていた境遇と日系二世志願兵のみで編成された442部隊ができた経緯やイタリア・フランス・ドイツの最前線を巡った転戦について、最近に現地を再訪した模様や当時の記録映像や写真を含めて紹介される。元兵士たち、アメリカやヨーロッパ各地の歴史家たちや日系人有識者たちなどの第三者の声も交えて多角的に顧みられている。442連隊とは対極をなす徴兵拒否者の存在も冷静に取り上げられており、俯瞰的な視点を意識させられる。
 国家間などの対立である戦争が個々人にもたらすインパクト、国と個人との関係性、そして従軍の社会的意味を検証するためのヒントを提示するケース・スタディとしても示唆に富んでいる。今後のグローバル化が進み複雑性が増した世界状況において、このドキュメンタリーから学ぶことは多い。
(鶴巻啓子)
 




監督/脚本/編集:山川公平 脚本/編集:冨山恵理
出演:伊藤壽子 親里嘉次 高田若葉

44分 日本語 カラー miniDV | 2009年 日本 | 配給:ぴあフィルムフェスティバル

どん底の、その先にあるもの

 自主制作映画に門を開き、若手映像作家の登竜門として知られる<ぴあフィルム・フェスティバル>。そのPFFで今年、最高賞のグランプリに輝いた本作は、老々介護や貧困など、今の日本でさかんに叫ばれている社会問題を背景にしのばせながら、“人工肛門(ストーマ)”の夫の世話に追われ、借金とりに怯え苦悩する妻の姿を描いている。
 実は、このような身近にある社会問題であり、いわゆる一般的な見解でいうところの不幸を扱う自主映画はとにかく多い。大半を占めるといってもいいだろう。ところが、その多くが残念なことに、なんら作者の見解を示すことなく、悲惨な境遇を伝えるだけで終わってしまう。はっきり言えば、その問題に対して意識はあるが自分の意見を言うことには躊躇してしまう作り手が多い。その中で、新鋭、山川公平監督の初監督作品となる本作が、こうした社会を背景にした多くの自主映画と一線を引くのは、まさに自らの見解をしっかり示しながら、問題の“その先”にあるものを描いている点にほかならない。
 主人公のおばちゃんが置かれた境遇は、時に夫を殺したくなる衝動にかられ、毎日のように“自分の人生何なの”という疑問が浮かぶほどやるせない。ただ、山川監督は、このどん底に目を向けながらも、そこに止まらない。むしろ、そんな状況だからこそ人間の内から湧き出てくるバイタリティやしたたかさ、力強さに目を向けていく。この新鋭監督の現代に対する熱いメッセージをうけとめてほしい。
(水上賢治)
  人間性への信頼のまなざし

 直腸ガンの手術をした夫と、その介護をする妻。綺麗事では済まされない老夫婦の日常を通じて、それでも生きていく人間のしぶとさと哀愁をドライなタッチで描く。木造アパート暮らしのくすんだ世界を直裁に捉えながら、ピンク色の部屋着のインパクトや関西弁の妙味といったスパイスが利いて、人間味あふれるユーモラスな魅力が輝いている。
 重い題材だが、ありがちな閉塞感にはまりこまず、一歩引いた視線で観察し、主人公の不遇を相対化するかのように、他者が横軸に織り込まれている。借金取りを怖れたり、コーラス・サークルの仲間に強がったり、家出少女を諭したり、神経衰弱ギリギリに追い詰められながらも、おばちゃんは他人とのコミュニケーションにさらされて、開き直って生きていく。さすがは、おばちゃん!なんという打たれ強さ!細部の描写も味があり、女の意地と男の可愛いさがじわじわと目に沁みる。深い意味での優しさと人間性への信頼が監督のまなざしから伝わってくる。
 山川公平監督は大阪芸術大学3年生の実習でこの監督第一作を撮り、PFFグランプリを受賞した。大阪芸大といえば多くの映画人を輩出しているが、熊切和嘉と石井裕也も逆境における人間ドラマを描いた卒業制作作品によりPFFで受賞後、それぞれ独特な作家性を発展させている。高校卒業後に4年間自衛隊入隊を経て大阪芸大に入ったというユニークな経歴を持つ山川公平監督の活躍に注目したい。
(鶴巻啓子)
 




水上賢治
映画ライター。インディペンデント映画を中心に、HogaHolicほかでレビュー・取材を担当。ぴあフィルムフェスティバル(PFF)アワード2010予備審査を担当したセレクションメンバーでもある。
  鶴巻啓子
劇場勤務、宣伝、書籍編集、映画祭運営等を経て、様々な角度から映画に関わり続けている映画ライター。各地の映画祭・上映会に足を運び、HogaHolicでもレポートを執筆。
 


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