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セカイノ映画祭カラコンニチワ
毎日、世界のどこかで行われている映画祭。日本で広く報道されるのはカンヌ、ベルリン、ヴェネチアの世界三大映画祭ぐらいだが、邦画は昨今のジャパニーズ・ポップカルチャー・ブームの影響もあり、世界の意外な場所で熱狂的な歓迎をもって受け入れられているのだ。そんな現地の様子を、参加者自らレポートしてもらおう。
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取材・文/中山治美
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 http://www.3continents.com/the_festival/home.html

 1979年に映画コンサルタントのフィリップ&アラン・ジャラドゥー兄弟が創設。フランス・ロワール地方最大都市のナントで開催される、世界でもユニークなアフリカ、南米、アジアと3大陸の作品に限定した映画祭。この街は18世紀、アフリカとの奴隷貿易の拠点となっていたが、現在もフランスの重要な貿易港を有していることもあり、欧州以外のへの興味が映画祭の精神に流れていると思われる。部門は大きく分けると、劇映画とドキュメンタリーの両方が対象のインターナショナル・コンペティション、招待作品、レトロスペクティブ。コンペ部門の最高賞は「金の気球賞」と呼ばれ、これは同街出身の作家ジュール・ヴェルヌの冒険小説「80日間世界一周」に気球が登場することから名付けられた。

映画祭開催の頃はちょうどクリスマスシーズン直前。街中の広場には、クリスマス商品が並ぶ市場や回転木馬も出現して街は華やかな雰囲気に包まれる。


ナントの老舗チョコレートショップ Georges Gautier(ジョルジュ・ゴーチェ)は、チョコレートを量り売りしてくれる。
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〈映画評論家・翻訳家の齋藤敦子が語るナント三大陸映画祭〉
「アッバス・キアロスタミ監督も、フルーツ・チャン監督も発掘したのはナントだった」

 
第22回大会(2000年)で。(写真左から)齋藤敦子、『忘れられぬ人々』の篠崎誠監督、主演俳優の青木富夫、コンペ部門審査員でフランスの作家イリーナ・フレイン、映画祭創設者の一人で映画祭ディレクター&プログラマーのジャラドゥー兄弟の弟アラン。
 齋藤敦子はフランス映画社を経て1989年にフリーとなり、映画評論家として活躍する一方、ピーター・グリーナウェイ、ケン・ローチ、アッバス・キアロスタミなど名だたる監督作の字幕翻訳を手掛けている。海外映画祭への参加も多く、カンヌ国際映画祭やヴェネチア国際映画祭は20年以上に及ぶ常連で国際批評家連盟賞の審査員も務めたことがある。ナント三大陸映画祭との付き合いも古い。第12回大会(1990年)〜第29回(2007年)と実に17年間も通い続け、日本で最もナントを知る存在だ。



第16回大会(1994年)に『愛情萬歳』でコンペティションに参加していた台湾のツァイ・ミンリャン監督と一緒に。
 
「ナントを知ったのは、ドイツ語翻訳家の和泉勇さんがきっかけでした。和泉さんにカンヌでお会いした時、『カンヌは人が多いけど、ナントはいいよ。人が少なくて気持ちが良い』と聞かされて、じゃあ行ってみようと。フランス映画社を退社した翌年に初参加しました。当時はバブルで映画祭側が宿泊費を全泊負担してくれるのも魅力的だったのでが(苦笑)、実際に行ったら本当に皆がフレンドリー。何より、他の映画祭でも類を見ない充実した特集上映に惹かれました」

 同映画祭では昨年の第33回大会で日活創立100周年記念の特集上映を大々的に開催した。第13回(1991)では鈴木清順監督、第19回(1997)は松竹ヌーヴェルヴァーグを特集した。

 
カフェ「ラ・シガール」でナント名物の生牡蠣を前にした映画『チーズとうじ虫』の加藤治代監督(写真左)と『山中常盤』の羽田澄子監督。第27回大会(2005)はドキュメンタリー部門が設けられ(現在は劇映画と共にコンペ部門に統合)、『チーズとうじ虫』は同部門の金の気球賞を受賞した。
ほか初期の頃は毎年1つの国をピックアップして映画史を丸ごと紹介する試みがなされ、モンゴルにアゼルバイジャン、ブキナファソにウズベキスタンなど、なかなか海外で取り上げられることのない第三諸国の作品と出会うことが出来たという。

 齋藤が初参加した第12回大会の特集はイランだった。本年度の米アカデミー賞外国語作品賞で映画『別離』がイラン映画初のオスカーを手にしたように、今でこそイランは映画祭常勝国。しかし当時はまだ知られざる存在。しかし同映画祭では最新の作品はもちろん、1979年のイラン革命前のまだ女性の裸体が出てくるような作品も網羅。そこで齋藤は、キアロスタミ監督の長編2作目『トラベラー』(1974)や、そのキアロスタミ監督が“最も影響を受けた監督“と称するソフラブ・シャヒッド・サレス監督『単純な出来事』(1972)と出会った。


人で賑わう映画祭のメーン会場カルト座前で。ツァイ・ミンリャン監督の姿も(2005年)
 
「キアロスタミ監督が世界的な評価を受けるのは、ロカルノ国際映画祭で同豹賞・国際批評家連盟賞・エキュメリック賞の三冠を受賞した『友だちのうちはどこ?』(1984)からだから、いかにいち早く紹介していたか。この年はほか、ジョン・フォード監督『逃亡者』(1947)やドン・シーゲル監督『真昼の死闘』(1970)を手掛けた撮影監督ガブリエル・フィゲロアや、若尾文子特集もあって、若尾さんも現地入りしてました。ディレクターを務めるジャラドゥー兄弟はシネフィルで、映画オタクと言ってもいいほど。ナントが終わるとすぐに世界中を飛び回って作品を探していた。そのあたりの熱心さが、日本の映画祭には足りないところだと思いますね。在任期間の短さもありますが、予算が…なんて考えていたら」

 
第27回(2005)で、古厩智之監督『さよならみどりちゃん』で女優賞を受賞した星野真里。
 昨年、富田克也監督『サウダーヂ』が最高賞の「金の気球賞」を受賞したコンペティション部門の先見の明ぶりも特筆するに値する。同賞の過去の受賞者は、『風櫃の少年』(1983)の侯孝賢監督、

『ウンタマギルー』(1989)の高嶺剛監督、『トゥルー・ストーリー』(1996)のアボルファズル・ジャリリ監督、『メイド・イン・ホンコン』(1997)のフルーツ・チャン監督、『ワンダフルライフ』(1999)の是枝裕和監督、『プラット・ホーム』(2000)のジャ・ジャンク−監督など。同映画祭からその名を世界へ轟かせた監督たちは多い。


『さよならみどりちゃん』の古厩智之監督(写真左)は銀の気球賞も受賞した。
 
「コンペの傾向はズバリ、フランス人好みのアート系映画。セレクションしているのはフランス人の批評家で、“三大陸映画祭“と冠を掲げているけど、いわゆるオリエンタリズムを感じさせる作品よりも洗練された作品が選ばれる傾向が強いですね。同じフランスのカンヌ国際映画祭とテイストは似ているけれど、ナントは新鋭監督たちが多い。なので、“カンヌの前哨戦“とも言われています」


 

『山中常盤』で舞台挨拶をする羽田澄子監督。観客は地元フランス人が中心。
 齋藤さんは日頃、洋画の仕事が多いため、日本人監督たちと同映画祭で交流を深めることが多いという。『忘れられぬ人々』(2000)が第22回(2000)に女優賞と男優賞を獲得した篠崎誠監督、第27回(2005)に参加していたドキュメンタリー映画『チーズとうじ虫』(2006)の加藤治代監督と同『山中常盤』の羽田澄子監督など。そして、彼らと決まって出かける場所があるという。




第33回(2011)で見事、金の気球賞を受賞!『サウダーヂ』の共同脚本・相澤虎之助(写真左)と富田克也監督
 
「カフェ“ラ・シガール“で白ワインのムスカデと一緒に生牡蠣を食べに行くんです。ナントは、ジャック・ドゥミ監督の故郷で『シェルブールの雨傘』(1964)も実はほとんどナントで撮影しているんですけど、そのドゥミ監督の初監督作『ローラ』(1961)にも登場するのがココのカフェ。会期中は映画人のたまり場で、ここに来るだけでも映画祭気分が満喫出来ます」

 しかし、ナントで会うのが楽しみだった映画雑誌「シネ・フロント」の近森邦子さんが1996年に亡くなり、映画祭の顔とも言えるジャラドゥー兄弟が第30回(2008)を区切りに後進にその座を譲ったこともあり、齋藤はナント通いを止めた。

 
金の気球賞のトロフィーを持つ富田克也監督(写真中央)。銀の気球賞は、『人山人海』の中国ツァイ・シャンジュン監督(富田監督の左隣)。『人山人海』は昨年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞している。
「機会があればまた参加したいけれど、評論家は書く場所がなければプレス登録出来ません。以前は毎年、キネマ旬報社にナント・レポートを執筆していたが、それも同社から『もうナントの記事は要りません』と断られてしまった。作品以外にもナントは、スタッフが地道に学校に働きかけているため学生の参加も多く、国際交流の場として映画祭を活用するなど学ぶべきところが多いのに、この映画祭がなかなか日本のメディアに紹介されないのは、そうした事情もあるのです」

 老舗映画専門誌が軒並み廃刊に追いやられ、残りの映画誌は生き残るために広告が獲得出来る大作映画ばかりを紹介するようになった。作品ばかりではない映画誌の商業化も、映画評論家やライターなど書き手に多大な影響を与えている現状を物語っている。 



《第33回ナント三大陸映画祭》
 2011年11月22日〜29日

●コンペティション部門・金の気球賞
『サウダーヂ』富田克也監督

●招待作品
『CUT』(日・イラン合作) アミール・ナデリ監督

●レトロスペクティブ:日活創立100周年記念特集
『豪傑児雷也』(1921) 牧野省三監督
『長恨』(1926) 伊藤大輔監督
『東京行進曲』(1929) 溝口健二監督
『藤原義江のふるさと』(1230) 溝口健二監督
『御誂次郎吉格子』(1931) 伊藤大輔監督
『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935) 山中貞雄監督
『河内山宗俊』(1936) 山中貞雄監督
『血闘高田の馬場』(1937) マキノ雅弘・稲垣浩監督
『鴛鴦歌合戦』(1939) マキノ雅弘
『土と兵隊』(1939) 田坂具隆監督
『土』(1939) 内田吐夢監督
『あした来る人』(1950) 川島雄三監督
『狂った果実』(1956) 中平康監督
『幕末太陽傳』(1957) 川島雄三監督
『錆びたナイフ』(1958) 舛田利雄監督
『海底から来た女』(1959) 蔵原惟繕監督
『狂熱の季節』(1960) 蔵原惟繕監督
『伊豆の踊子』(1963) 西河克己監督
『赤い殺意』(1964) 今村昌平監督
『黒い太陽』(1964) 蔵原惟繕監督
『東京流れ者』(1966) 鈴木清順監督
『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(1967) 野村孝監督
『?色情めす市場』(1974) 田中登監督
『暴行切り裂きジャック』(1976) 長谷部安春監督
『人妻集団暴行致死事件』(1978) 田中登監督
『ラブホテル』(1985) 相米慎二監督

●弁士Art - Voice of the Japonese cinema 
活弁士・澤登翠による溝口健二監督『東京行進曲』と 伊藤大輔監督『御誂次郎吉格子』の上映イベント

●テーマ・プログラム:英雄の顔(9作品/ヤング・オーディエンス)
『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968) 高畑勲監督

 


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